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もう「失敗」できない日銀。

 日銀金融政策決定会合における「ゼロ金利解除」

 1.2000年8月11日 速水総裁
→「ITバブル崩壊」により2001年2月に@0.25%→@0.15%、3月に量的和開始、実質「ゼロ金利」に逆戻り

 2.2006年7月14日 福井総裁
→2006年8月のCPI基準改定により2005年(平成17年)を基準年とすると2006年1月・4月がマイナスに。金利引き上げが時期尚早だったと批判

 「9ヶ月の@0.63%、取っておきました」

 忘れもしない2000年7月「損切丸」は夏休みを取ってイタリアに旅行に行っていた(ちなみに当時ユーロは@100円以下<現在@154円。随分安かった)。1994年にFRBの「利上げ」で大やられした経験に基づいて、オファー(資金の出し・運用)があるうちに期間の長い「お金」を調達しておくよう指示しておいた。筆者不在の中、果敢に動いたアシスタントの子を褒めたものである。*そのお陰で8月の+0.25%「利上げ」を凌げた

 *2000年は春先から「利上げ」の観測気球が上がっており、7月「利上げ」をほぼ織り込んでいた。そこに起きたのが7/12の「そごう経営破綻」。ある記者さんが教えてくれたのだが、繋がりの深かった広島出身(広島そごうは大店舗)のK政調会長から速水総裁が呼び出しを受け「そごうが潰れる時に利上げなんかするのか!」と一喝され一旦「利上げ」が止まった「これだから政治家は!」と総裁が吐き捨てたという。

 とかく「利上げ」局面は苦しい。特に短期市場ではオファーがほとんどなくなり「資金繰り」に苦労する。だから**「利上げ」を察して前倒しで動くことが肝アメリカでもシリコンバレー銀行が破綻したがさもありなん。「お金」は有る時に取る、が鉄則である。

 **@0.7%前後で1年物を2,000億円程度掻き集めたので、2,000億円×▼0.7%÷365日 ≓ 1日▼400万円ほど「損」になったが「利上げ」後に1年物が@1.3~1.5%まで跳ね上がり2,000億円×(1.3% - 0.7%)≓+12億円の「利益」となって "お釣り" が返ってきた。これは時価会計的な手法「利上げ」局面には極めて有効。いつ何時でも儲ける方法はある。

 反動として2001年以降の金融緩和では長期金利が低下を続け、2003年には10年JGB金利が当時先進国市場で最低とされた@0.43 %まで落ち込んだ。今の10年JGB金利とほぼ同じ水準だが、何かの因縁だろうか。

 2006年の「ゼロ金利解除」も良く覚えている。当時の小泉首相は海外勢に絶大な人気があり、筆者の上司も褒めていた。彼の後押しがあって福井総裁「利上げ」に踏み切れたのだが、首相退陣後は "財務省村" が反撃。やや姑息ではあるがCPIの基準を突如改定して物価を「デフレ」認定

 その後2008年の「リーマンショック」2011年「東北大震災」と不運が続き、日本は深い「デフレの闇」に突入。よくよく振り返って見ると、1990年代の「バブル崩壊」以降、不良債権を放置したまま「利上げ」転換したことが「失敗」の元。結果、上げても上げても金利はゼロに逆戻り。手術をしないまま麻酔だけ抜けば患者は暴れ出す。

 2006年には後に総裁になる白川氏副総裁になった中曾氏が理事等で政策運営に携わっており、彼らの「もう失敗できない」の思いは半端ではない。本来中央銀行の規範に外れる「異次元緩和」「バズーカ」に乗ったのも、日銀の "発言権" を取り戻したかったから。だが皮肉にもその "賭け"「悪い円安」の犯人の誹りを受ける羽目に陥っている。

 同様のプレッシャー植田総裁にものし掛かっており、それが現在の "超慎重な姿勢" に現れている。総裁と同世代の与党の重鎮達は日銀など信用してはいまい。だがマーケットはリスクを取ってなんぼの世界「失敗」を怖れてばかりでは何も生み出せない。これは日本人の悪癖でもあるが「失敗」を責めてばかりはもう止めるべきパナソニックの創始者・松下幸之助の「やってみなはれ」精神に戻る必要がある。

 なぜか過去の日銀による「ゼロ金利解除」=「利上げ」は7月、8月に行われている。2023年はどうだろう。2度ある事は3度ある → 3度目の正直?

 幸い今回は不良債権問題もないし物価も上がっている。ここで尻込みすると将来「悪性インフレ」を起こした張本人と言われかねない。本当に "発言権" を取り戻したければ、ここは勝負に出るべき、そして "結果" を出す事。その点はトレーダーも中央銀行も同じだ。

 「インフレは一時的」なんて軽口を叩いたために「失敗」を取り戻そうと今のパウエルFRB議長も必死日銀に至っては半世紀に渡る「失敗」を取り戻さなければいけない中央銀行とは本当に大変な仕事なのである。


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