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誠実を食べたい

不機嫌な店主がつくる美味しいものと、ご機嫌な店主がつくる普通のものなら、私は迷わず後者を選ぶ。

かつて夫とふたりでランチに入った洋食屋で、その店のオーナーらしきコック姿の男性が、ホールの若い男の子を大きな声で叱責していた。

確かに彼は見るからに不器用で、動きも遅く、スマートとは言い難い。しかし、その客席まで聞こえる叱責で、より一層委縮しているように見えた。

そして客席にいる数組の客もまた、その居心地の悪さに委縮していた。そこで出されたサラダやハンバーグは見た目も洗練されていて、確かに美味しかった。けれど、もう味なんてどうでも良かった。たとえ誰かに誘われても、二度と足を運ぶことはないと思う。

ここまで極端な例はなかなか無いとしても、美味しさには味よりも重要な要素がたくさんある。

たとえば、はい喜んでー!とアルバイトが楽しそうに働くお店の焼肉。焦茶色のテーブルがピカピカに磨きこまれた店の丁寧な珈琲。これは美味しいですよ、と朗らかに地物をお勧めしてくれる店主の美しいお寿司。

想いのある店で頂く食事は、美味しさが倍増し、心を爽やかに満たしてくれる。

街は進化し、いつどこにいてもそれなりにお腹を満たせるようになった。たとえ一言も発さなくても、作った人の顔を見なくても、私たちは十分な食事を摂れる。

だからこそ、私はぬくもりのある誠実な食事を選びたい。自分が応援したい人に、お金を払って食事をしたい。

完璧よりも、誠実を食べたい。

#コラム #エッセイ #料理 #美味しいもの #お店の未来  

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