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進学校を中退したらどんな大人になったか①

自分でも言うのもなんだが、中学生までは勉強ができた。

毎日のように部活と社会体育でバドミントンをしていて多忙だったが、成績表は、小学生の頃は音楽と体育以外「よくできました」で、中学生の頃はほぼ5でたまに4しか取ったことがなかった。

両親が特別教育熱心だったわけではない。父は理容師で、母は元美容師。2人とも大学には行っておらず、美容専門学校卒だ。

母は子供の頃からよく隣の市の図書館に連れて行ってくれた。
小学生くらいの記憶にあるのは、私は母と別行動をして、広くて綺麗な図書館を1人で歩き回った。
子ども向け図書のコーナーでは可愛い絵柄の本を探し、写真集のコーナーでは美しい写真たちに見惚れた。
当時から読書は好きだったが、どちらかというと絵を描くことの方が好きで、美術に興味があった。
幅が広い階段のような読書スペースがあったので、そのなるべく高い位置で本を広げるのが好きだった。

育児は母がやっていた。
「勉強しなさい」と言う親だったが、私は姉がそれで散々怒られているのを見ていたので、言われる前にサッサと宿題を終わらせてしまう方だった。下の子は、上を見て育つのだ。

習字を習っていたので文字を書くことは苦ではなく、漢字ドリルは無心でやっていたと思う。せっかちだからか、書くスピードは早かった。
しかし、私の勉強ノートは文字ではなく、ありとあらゆる落書きで埋められていた。特に、歴史上の人物をディフォルメして似顔絵を描くのが好きだった。

本当は美大に行きたかった。
仲のいい友人2人が絵がとても上手で、その緻密で繊細な作品に、子どもながらにレベルの違いを思い知らされた。
挑戦すらしなかったが、「きっと私の実力なら無理だろう。それより勉強をこのまま頑張って公務員にでもなるか」と考えていた。

その子たちは確か中学生になると画塾に通い始めて、私も行きたかったが、うちは裕福じゃないのでとても無理だったし、バドミントンもあったので諦めた。
今でも美術に長けた人を見ると、羨望の眼差しで見てしまうし、嫉妬まではいかないが、もし自分がそっち方面に進んでいたらと妄想する。

結局私は、普通科の高校に進むことに決めた。
学力は、生徒数の多いマンモス中学校で10番以内に入っていたので、先生は学区内で一番上の高校への進学を勧めた。
しかし私は、それよりも1つランクを下げた高校にどうしても行きたかった。

理由は、バドミントンだ。
志望校は、数年前まで有名な指導者がおり、その方は残念ながら肺がんで亡くなられてしまうのだが、その先生の意思を継いだ強い絆のようなものがあった。私はそこのバドミントン部が憧れだった。

中学校最後の大会で県大会に出場しており、条件を満たしていたので、私は部活動推薦で志望校の内定を貰った。
他の生徒たちは入試の結果が卒業してからしか出ないので、なるべく普通に過ごしたが、側から見た私はさぞ浮かれていただろう。

こうして私は無事に義務教育を終え、憧れの高校に進むことになる。

↓学力と美術の関連性が興味ある一冊

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