見出し画像

EVERYDAY大原美術館2023 vol.1「3つのキズ」

お久しぶりです。
突然ですが、私の住む街には美術館があります。
そりゃどこでも美術館の1つや2つあるだろうと思われるかもしれませんが、そういう類のものとはちょっと違います。
岡山県倉敷市には、私設の美術館「大原美術館」があります。
美術館の公共性については、話が難しくなるので、端へ置いておきますが、
この街の美術館であり、わたしたちが作っていく美術館でもあります。
言い換えれば、勝手に存続はしてくれません。

コロナ到来

約2年前、2020年のコロナ真っ只中。
大原美術館はクラウドファンディングを始めました。
倉敷という街を作ってきたと言っても過言ではない大原美術館が
危機になるという我々にとっても危機が訪れました。

私にできること

その時、始めたが「毎日、美術館に通うこと」。
よく考えたら贅沢なことです。毎日、世界最高峰に会えるわけです。
野球好きな人で言えば、大谷さんにもイチロウにも長嶋茂雄にも会えるわけです。なんで今まで行かなかったのだろう?と思うほど。

2023年、EVERYDAYは再び。

しばらくお休みしていた毎日大原美術館を再開します。
インプットもアウトプットもひとりだった私に強力な道連れができました。
「ナカムラさん」
ナカムラさんは私とは違い絵が得意な人。
作品を見た後は、お互いの感想を言い合います。
アウトプットを共有できることは、自分の考えも深まります。

ルール

・1日に1作品しか鑑賞しない。
・入館したら、5分以内に作品を選ぶ。
・選ぶ順番は、ナカムラさん、私、ナカムラさん、と交互に行う。
・作品を30分ほど鑑賞する。(延長しても短縮しても可)
・作品とだけ向き合い、ネットや書籍から情報は得ない。
・私は文章を書き、ナカムラさんは絵を描く。

今日の作品は、こちら。

フォンタナの空間概念 期待(spatial Concept Expectation)


ナカムラさんの空間概念

真っ赤なキャンバスに3本のキズ。
描かれたキズではなく、キャンバスをリアルに割いたキズ。

絵画の限界

美術館を歩けば、世界中から集まった多くの絵画に囲まれて。世界がぐんと広くなる。特に素晴らしいものが展示されている。
こんなことを言っては申し訳ないが、どんなに素晴らしい絵画も2次元。
キャンバスにあらゆる技法と想像力を結集して作り上げた作品も所詮2次元だ。
当たり前だが、私の生きている世界は3次元。
平凡な私の目に映る世界であっても3次元が広がっている。
ここに絵画の限界があるのではないか。

3次元の世界を

私が想像するにフォンタナは、どうにかしてこの2次元の壁を絵画で打ち破りたかったのではないだろうか。
平面のキャンパスを物理的に切り裂くことで、3次元空間を作り出す。
偽物の3次元ではなく、本物の3次元を作り出した。

これはこれまでの美術に問題提起となったのではないだろうか?
そもそも美術館という閉じられた空間に、
権威の象徴として美術作品が飾られる。
権威に対する挑戦であり、美術をもっと開かれた世界の元へ解放しようとしたのではないかとも思えてくる。
文字通り、キズをつけてやったことになる。

向こう側にある世界

真っ赤なキャンパスの向こう側にある世界は、どこなんだろう?
よく見れば、グレー(黒)のように見える。
そこにはまだ何があるのかわからない。
宇宙のような存在なのかもしれない。

しかしながら、裂かれる前には存在しなかった確実にある向こう側がある。
これを「期待」、希望と呼んでもいいように思う。

美しい3本のキズ

そんなこととは関係なく、3本のキズは美しい。
キャンバスに穴を開け、3次元にする方法は他にもあったはず。
扉や窓をつけるという方法もあっただろうし、
丸く穴を開けることだってできた。

しかしながら、行為として3次元獲得が必要だったのではないか。
ただの真っ赤なキャンバスに、これから1本ずつキズをつけていく。
こちら側と向こう側を隔てるキャンバスを裂く音が聞こえてきそうだ。

想像は膨らむ。左から順にキズが入れられたと直感的に感じる。
そして、おそらく間違いない。

1本目は、見ての通り、細く、短く、美しい。
か弱いその線は、まだ見ぬ世界への不安と躊躇がうかがえる。

2本目は、後戻りはもうできない決心がついたのか、
先ほどより少し勢いがつき、大きく切り裂いた。そこには意志がある。

3本目は、これまでの2本とは明らかに違う。
振り上げた手は、先ほどより高く、力がこもる。
どこか怒りにも似た、これまでの鬱憤をはらすかのように振り下ろす。
軌道は先ほどまでとは違い、荒々しい。

3本のキズは、そのキズを描く人間の軌跡のようにも見える。
痛々しくもあり、美しい。

なぜ、真っ赤なのか?

赤は血の色。生命の色。
血を流し、勝ち得た新たな世界。
のようにも見える。

一方で、真っ赤に意味はない。
真っ赤しかない世界にあっては、赤は色を成さない。
無色とも言える。
これは美術館内におけるインパクトとして赤を選んだ。

そもそも、作品は残存物

時間の経過を考えてみたい。
1 切り裂く前
2 切り裂く瞬間
3 切り裂かれた後

私がみている作品は3の状態。
本当の作品は、2なのではないだろうか?

時代が終わり、時代が始まる。
価値が最も高いのは、この瞬間である。
切り裂く前の世界と、切り裂かれた後の世界では、全く違う世界になった。
切り裂く前には想像もし得なかった世界になったのだ。
切り裂いた後の世界からは、もう切り裂く前の世界には戻れない。

切り裂く音が聞こえる

キャンパスを切り裂く音。
時代の変わる瞬間の音。
何かが死ぬ音。

時代の残存物としての作品

先ほど触れたように、現状3である作品への悲しさもある。
時代は変わり、ARやVRなど3次元であることへの疑いを持たなくなった。
血を流し、獲得し得たものへのリスペクトは薄れ、
ただあるキズだけが残る。
手を合わせ、成仏を願っても、キズは美術館に所蔵されていく。

思い返せば

一人で毎日、大原美術館に通っていた頃、この作品を見ていた。
その頃とどれくらい感じていることが変わっただろうか。

https://note.com/okayama0330/n/n041659c36ab3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?