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映画「福田村事件」を見ない人へ

どんなにいい映画を見たとしても、言いたくないことがある。
「この映画、見た方がいいよ!」

映画は、見たら終わりではない。
見ていないから終わりではない。
ということで、同映画を見ない人に向けてnoteを書いてます。
ネタバレなど、もちろんします。

物語は、

100年前、関東大震災の直後にあった本当にあった事件。
詳しくは、公式サイト、Wikipediaをご覧ください。

私の映画との距離

普段、テレビ・ネットフリックスを見ないし、YouTubeもほとんど見ないので、芸能についてとんと疎い。
たまに映画を見にくると、役者を知らないので、ほとんどの登場人物は役者という先入観を離れて見ることができるのは本当にありがたい。

弊害としては、画面の中の美男美女に私自身が慣れていないので、出てくる人みんな本当に美しい。

映画について

映画のいい悪いを言えるほど、映画のことはわからないが、よくできている話だし、前述の通り、私にはリアルに思えるほどの臨場感があった。
その分、「ひどい映画」でもあった。
ひどいとは、人の死を目の当たりにするしんどさがあった。

ウクライナ、パレスチナ、世界の各地で人が人を殺める。
心が苦しい。

朝鮮人に間違われた一行を
「確かめるまで、待ってくれ!
朝鮮人じゃなくて、日本人を殺してしまうかもしれない!」
とみんなを止める。

「朝鮮人なら殺してもいいってことかよ!!?」
ハッとさせられる。殺されていい人なんて、誰もいない。
誰もいないはずなのに、子どもが殺戮される。

もう見ていられない。
国のため、みんなのため、村八分にされないため、
もし朝鮮人が襲ってきたらという恐怖のため。

貧困を筆頭にした「格差」という言葉を毎日のように耳にする。
「格差」は何を生むのか。
私が上で、あなたが下。
私が下で、あなたが上。
この関係性が、いつかボタンを掛け違えた瞬間に、
人が人を殺める時が来る。

現在の日本

100年前の日本ではない。
現在の日本に「人を殺めてしまう何かわからない空気」がある。
「いや、ちょっと待って!!」
立場も違う、年齢も違う、これまで背負ってきたものも違う、
正しさなんて、誰にも語れない。
だけど、だけど、人が人を殺めようとする時、それは違う。
ちょっと待ってほしい。

メディアについて

新聞社が出てきます。マスメディアの批判がここ10年くらいすごいですが、ほとんどの人は、新しいメディアを立ち上げません。
未だに政治、宗教は御法度。切り離し、見ないようにしているから理解が進まない。もう懲り懲りなはずじゃないですか。

見ていない人へ

昔の日本は、ひどいものでした。
そして、今の日本は、もっとひどいかもしれません。
こんな「ひどい映画」を見せられてしまう、この状況に絶望しています。

見ていない人へ、見てくださいとは言いません。
涙を流し、苦しい思いをするほどの映画を上映せざるを得ないほど、
今の日本は良い状態ではないことを、覚えておいてほしいです。



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