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ニュー大原美術館、はじまる。

倉敷に生まれた私には、大原美術館はあって当然の存在だった。
高校生の時は、自転車で毎朝、大原美術館の前を横切り高校に通学した。
だけど、ずっとずっと、大原美術館の中の絵を見ることはなかった。

35歳でUターンして、改めて倉敷を知ることになる。
大原美術館の存在のありがたさを知った。
コロナ禍になり、来館者が少ないことをいいことに、
毎日1枚の絵を見るプロジェクト「EVERYDAY大原美術館」をスタートした。

だけど、どこか物足りなさがあった。

館長が変わった

組織のトップが変わると考え方が変わる。
今年になり、グッと展示の方法が変わった。
何か始まる予感がした。

特別展「異文化は共鳴するのか?」

本館を総入れ替えをして、特別展を開催。
もう違うミュージアムになっていた。
所蔵点数はたくさんあっても、なかなかお目見えしない作品もたくさんある。毎日、通っているとどこにどの作品が飾られていて、今日はどの作品とどの作品が入れ替わったかがわかる。
でも、今回、はじめましてのご挨拶をした作品がいくつもあった。
今日はさらりと鑑賞しただけなので、詳しいことは書かないが感じたことを書き留めておく。

第一部「児島虎次郎、文化の越境者」

児島虎次郎の部屋は以前からあった。
今回は、児島虎次郎がどんな影響を受け、その作品にどんな変化があったのかを教えてくれる。
そうこのキュレーションは、説明も多い。
ストーリーを一緒に旅する感覚だ。
児島虎次郎の展示されている作品はほとんどを目にしていたが、
その変化が楽しいことに改めて気付かされる。
まるでピカソが作風をいくつも極めていくように、
虎次郎の変化に驚きがあった。

第二部「西洋と日本ー西洋美術と日本近代美術の交差」

ここは「裸体」、「宗教・信仰」、「労働」、「光」などテーマごとに日本と西洋を比べる。絵画だけでなく、彫刻もあり、それぞれの捉え方、受け取り方、表現の仕方、もっとじっくりみて、言語化したい。

第三部「東西の交流ー白樺・民藝を中心に」

民藝が本館にやってきた。
民藝が民藝という領域ではなく、アートになった瞬間だった。
「棟方志功が贋作のゴッホを見抜いていた?」
ゴシップのような誰かに話したくなる美術館に小躍りした。

第四部「近代と現代の共鳴」

近代で出し尽くされたかにも思えるアイデアは、現代でもう一度花ひらく。
それはとてつもない試行錯誤とパワーのいること。
新たな力を生み出す、熱量を受け取ることができるか!?

1回目の感想

ニュー大原美術館が開幕しました。
これまでにない挑戦の数々。
惜しみない作品の展示。
これほどまでに見せてくれるのか!と嬉しくなった。

また、これまではどうぞ自由にみてください!のスタイルだったが、
動線を一緒に歩いてくれる感じ。もちろん余白は残してある。
ただ、説明しすぎてないか?色眼鏡をつけすぎてないか?
と自己統制の難しさを感じたのではないだろうか?
わかりやすくしすぎることは、結果的に大きな痛手を負う。

ただ、安心して鑑賞しにきてほしい。
意図があり、鑑賞ポイントがわかりやすくはなっている。

印象にも残りやすいかもしれない。
あのなになにように、まるまると絵画を比喩表現に使えるようになったら
素晴らしい。

アートや絵画は苦手という人。
もうやめよう。ここに来れば、わかることがある。

次回は、「共鳴」を感じにゆっくり訪れたい。

会期は4月23日〜9月23日まで。

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