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noteを200日毎日更新してみて思ったこと(物書きとして誠実でありたい)

こんにちは、マイコです。昨日、とある方のnoteを見てハッと目が覚めた思いがしました。

たけのこさんとは直接お話ししたことはないのですが、「スキ」をくださっていたことがきっかけで、「大変ありがたいなあ、励みになるなあ、どんな方なのかなあ」などと思いつつ、たまに読みに行かせていただいていておりました。

そして、こちらの記事を読んでハッとしました。まさか「スキ」ひとつ押すことに対して、こんなに深く、誠実で真摯な気持ちをもっていらっしゃったとは…!急に目が覚めたような気持ちになりました。

対する私は、「書くこと」に対してそんな誠実さがあったかなあ?と。


私のnoteは今日でちょうど「毎日更新チャレンジ200日目」になります。(下書きに戻した記事もあるので、記録としては残っていないのですが)

初めてnoteに書くときは「私のような、たいして取り柄があるわけでもない一般人が、クリエイターの方がたくさんいらっしゃるようなところに書いちゃっていいんだろうか」とドキドキしながら投稿したものですが、ここまでくると、もはやただの習慣。最近はもう「書くことってなんだっけ」と、ただ毎日の習慣としてアウトプットするだけの状態になっていました。

「今日は何を書こう…」「書くことが思いつかない。でも書かなきゃ」「日記やポエムなら書けるかも」

落ち込んでいるときも、私生活がうまくいかないときも毎日更新し続けることは、心身ともに疲弊します。「毎日更新」という チャレンジはいつしかノルマになり、呪いとなり、自分を少しずつ蝕んできました。

おかしいな、最初はあんなに楽しかったのに。「明日は何を書こう!」とワクワクしていたはずなのに。


いつから歯車が狂ってきたのか?その原因はもしかしたら、「読み手の方を意識する」という想像力が欠けていたからかもしれません。

最初のうちは、会ったこともない、知らない誰かに手紙を書くような気持ちで書いていたnoteも、いつのまにかただの一方通行の日記のような、苦し紛れに書く日常の記録のような内容になっていき、私自身も「これでいいのかなあ」と思いつつ、「毎日更新」のノルマに背中を押されて「投稿ボタン」を押す。まるで毎日の歯磨きのように、習慣で。

あまりにも「人から見られている意識が少ないのではないか」と思えるものも、ちょっとスキが付けずらかったりします。わかりやすくいうと、あまりにも普通の「日記」だなぁと感じてしまった場合なのですが。

たけのこさんの記事の引用です。

この言葉が心にグサグサっと響きました。人は図星をつかれると、ほんとにグサッとくるものなんですよね。「人に見られている」ということ、意識していたつもりだけど、まだまだでした。

というよりも「意識」はできていたんだけれど、その先を想像できていなかった。それはつまり、「それを読んだ方がどんな気持ちになるだろう」ということ。

もっと根元まで突き詰めると、「私はこのnoteを読んでくれた方に、どんな気持ちになってほしいんだろう」ということ。まがりなりにも「表現者」であり続けたいのであれば、その根っこの部分は大切にしなければならなかった。

私が自分を追い詰めて、どんどん苦しくなってきた原因はきっとここにあります。つまりは「誰に対して書くのか」「何のために書くのか」

私もまだまだ修行が足りないなあ、と改めて思い知らされました。

まあでも、これに気付けたということは「成長している」ということ。そういう意味では、苦しくても、ぐちゃぐちゃでも、noteを書き続けてみてよかったなあ、と思います。(読んでくださった方には大変申し訳ないです…!気分を害していた時があればすいませんでした!)

さてさて、これからどうしよう。

これからも書く習慣は手放さずにいたいので、noteは更新していきたいなあと思います。

でもこれからは、毎日「記事を書くこと」自体にはチャレンジするけど、毎日「更新」することはもうせずに、いいものが書けた時だけ更新する。書けなかった時は下書きとして残す。そういうスタイルでいきたいと思います。

全然更新していなくても、バックグラウンドで書いてる。そんな状態。それならまた、のびのびと書き続けることができそうです。

遠山怜さんのこちらの記事も、大変励みになりました。

【質問】特に成果とか出てないので、作家とは名乗りがたいです。
【回答】今すぐ名乗りましょう。あなたが何らかの形で表現しているのであれば、もうすでに作家であり、画家であり、写真家であり、漫画家であり、評論家であり、ライターであり、エッセイストです。
「売れてないから」「成功してないし」「まだ大したことないから、言えない」なんて思う必要はありません。あなたがそうである、と思った瞬間にそういう存在なのです。○○の卵です、という言い訳も不要でしょう。…(続く)

(上記、記事から引用)

あ、私も「作家」って名乗っていいんだ!(ただしその時点からは言い訳無用ですが!)

たとえ素人でも、「物書きである」という意識と矜持があれば、読み手のことを意識することができるはず。

独りよがりにならないように。

私がnoteでやりたいことは、「読んでいる方が楽しい気持ちになる」「「自分もなにかやってみようかな」という、創作意欲がわくきっかけになる」、そんな記事を書くことです。そのためには、書いてる本人も楽しまなきゃですね!がんばります。

お読みいただきありがとうございました。なにかのお役に立てたなら、大変うれしいです!

創作は楽しんでなんぼですよね。ずっと、楽しみながらのびのびと、続けられたらよいですね。みなさんの記事もたくさん読みにいきたいです。

それではそれでは。今日もよき日を…☆彡


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