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No.588 あなたの足元を照らしているものは何ですか?

3日前の大分合同新聞「灯」欄に書かれてあった久留島武彦記念館館長・金成妍(キムソンヨン)さんの記事「温故知新」に感服しました。足元を照らすその光について、私は深く打たれました。ご一読いただければ幸甚です。
 
引用記事…「別府市の最初の海外姉妹都市、木浦(モッポ)。100年前、一人の日本人がこの朝鮮半島最西南の港町の領事に着任しました。若松兎三郎(とさぶろう)という人です。玖珠町に生まれ、小学校を出ると京都に行き、同志社英学校に入学して新島襄からキリスト教精神を学び、東京帝国大学在学中に外交官試験に首席で合格しました。
 最初の勤務先が京城(現・ソウル)公使館。1896年から1年間京城で勤務した後、ニューヨーク領事館や中国の杭州(ハンジョウ)および沙市(シャーシー)領事を歴任し、1902年7月、韓国の木浦領事に赴任したのです。
 当時日本は大量の原綿を外国から輸入しており、国を挙げて国内栽培を試みたものの気候が合わず、その栽培地を模索中でした。木浦地方が温暖な気候のうえ、天然資源が豊富であることに着目した若松は、木浦の高下島(コハド)で私費を投じて米国種陸地綿の試験栽培を成功させます。
 そして、中国や台湾で生産されていた天日塩も木浦で生産可能と判断し、『陸地綿』と『天日塩』を日韓協働で推進しました。戦後、この両産業が韓国の自立経済確立に大きな貢献を果たしたことは言うまでもありません。
 日本に帰国した後は、在日韓国人の人権擁護のために走り回った若松兎三郎。故郷には、その名を刻んだ立て看板一つなく、その名を知る県民も少ないですが、『自由』『人類愛』『多様性』を貫いた先人の歩みは、満月のように明るく、私の足先を照らしているような気がします。」
 
人は、一体何をもって人生の足元を照らす光とするのでしょうか?親や身近な人や教師からのアドバイスもあるでしょうし、信教する教義の言葉もあるでしょうし、哲学者や偉人たちの名言もあるでしょうし、ドラマや漫画の主人公の名台詞もあるでしょうし、小説や詩の世界からの真理のような文句もあるでしょう。いや、言葉ではないかもしれません。では、貴方の足元を照らしているものは何ですか?
 
金成妍さんは、「『自由』『人類愛』『多様性』を貫いた先人の歩み」が、自分の進む足元を照らしてくれるものと述べておられます。「国を超えた人としての在り方」に強い敬意と共感を覚えていらっしゃるのだろうと思いました。国際人としての強い意志が見えます。
 
若松兎三郎については、『日韓をつなぐ「白い華」綿と塩 明治期外交官・若松兎三郎の生涯』(永野慎一郎著、明石書店、2017年)という本があります。その学恩を受けただろうと思われますが、金さんのこの記事によって、大分県玖珠町に若松兎三郎を顕彰する碑か像が生まれるかもしれません。私たちの知らないことを逆に教えて頂きました。

ふと、「東洋(日本)のシンドラー」と呼ばれた、リトアニアの外交官であった杉原千畝(岐阜県)や、ブータンで農業指導に生涯尽力し「ダショー(最高の人)」の称号を贈られ国葬になるほどに敬愛された西岡京治(京城生まれ)のことを思い出しましたが、彼らも国を越えて多くの人々の足元を照らしたことでしょう。無私無欲で、命を賭けてまで愛する人々のために人生を捧げたその生き方考え方が、人々を導く光になったのでしょう。
 
さまよい歩くに近い我があゆみですが、その足元を照らすかすかな月あかりは、意気地と言うか矜持と言うか、まだ心を奮い立たせることのできるささやかな希望かも知れません。