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遠い遠い、星の彼方の転生記憶

小さい頃、発熱でうなされると決まってみていた夢があります。それは宇宙のど真ん中で「永遠を知っている」という感覚のなか、ずっと小さな乗り物にのって、ぐるぐると回り続けている映像。当時好きだった東京ディズニーランドの「スペース・マウンテン」のなかのようなのだけれど、ひとりしか入れない小さなところに入っている。熱を出すと決まってその映像がみえるのが小さい頃はとにかく怖くて怖くて、あるとき(と言っても既に中1の頃)は、夢遊病者のように部屋から飛び出し、家族のいる部屋へ実際に逃げ出したこともありました。そのときは「あっちが大変!助けて!」と大声で叫んだ直後、「ヤバい。娘がとうとうおかしくなったかもしれない……」と言わんばかりに驚き、半笑いで固まっている家族の顔をみて初めて我に返り、私が夢の中にいた(のに現実世界で走り、叫んだ)ことに気づき、かなり気まずかったのを覚えています。

誰に話すこともない、幼少期の鮮明な夢の記憶。あるとき、クラニオの施術中だったのか、瞑想中だったのか今では思い出せないのですが、それが地球にやってきているときの記憶なのだと、なぜかふと腑に落ちるタイミングがありました。気づいたらポロポロポロポロと大量の涙が溢れていました。幼少期に感じていたのは、当時の「私」という今世の人格が感じていたものと、何度も輪廻を繰り返してきた「魂」の記憶。それらが合わさって「永遠」という魂の記憶を今世の私が「怖い」と感じてたのだ、と。今世において何かが動き出すと、こうやって「思い出す」ということが連なるのかな、とも感じています。

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そして2021年10月21日。『愛のエネルギー家事』の著者である加茂谷真紀さんのセッションで、その遠い遠い、星の転生記憶について触れることになります。どこか心が揺さぶられるように懐かしく、そしてなぜか知っている、という不思議な感覚。

以下、真紀さんを介して届いた、私のハイヤーセルフや守護霊たち(以降「チームまりこ」)の言葉などを交えて綴ってみます。(全容は『holos.QUANTA』というオンラインコミューンでも全公開しているので、既に読まれている方にはほぼ同じ内容となりますが)。

「過去生がもうひとつ飛んできました。ものすごくきれいな星の転生記憶を持っているんだそうです。星では空気が流体。地球の星でいうと水、ゼラチン質」と真紀さん。この時点で私の脳内はなぜかすぐにエメラルドグリーンの美しい世界がイメージできるのです。

「すごくきれいな透明感のあるオーロラのゼリーのようなものがある。植物代わりにマーブル模様で“ここの空(空気中)”にあるような星なんですって。まりこさんのヒューマノイドの形も、その星では当たり前なんですけど、ゼラチン質に近い、電気クラゲに近い、有機体の存在なんですって」と。

「まりこさんは、樹木をみたときに“樹木の音”というか、“樹木の骨・内臓をみる”みたいな感覚ってありますか?人格化するっていうのとも違うんですけど、単に木として存在しているんじゃない。もっと深みみたいなものを感じ取ろうとしているんですって。それは子どもの頃からそうだったらしいんですけど、木との親和性のストーリーは何かありますか?」と質問されます。

パッと思いつくストーリーはないな、と言葉を詰まらせていると「木の絵をやたら描いていたとかありません?」と真紀さん。あ、それは描いてた!小さい頃は絵といえば、木から描き始めていた記憶が蘇ります。「まりこさんの星の由来の記憶なんですって。地球上でいちばん似ているのが木」。そして、いまこの文章を書きながら、小さい頃は「いつも木や植物が今にも動き出しそうで怖かった」のも思い出しました。

「その星では木として存在しているのではなく、薄い黄緑の流体系で、ときに象られる。それも一瞬で。気分で。だから、本当はこの木はこうなるんじゃないかな、みたいな感覚があって。急に膨らんだり、縮んだり、捻れていくはずだという感触。見ている間に伸びだり、動いたりする幻想が湧いていた。それが気持ち悪いって感じていたって。後ろ(チームまりこ)がニヤニヤしていますよ。教えてくれましたね」。思い出すのは、ピアノの教室に通っているとき、先生の自宅の門から玄関までに植えてある木々(特に多肉植物)が動きそうで怖かった記憶など。わかりみしかありません。生き物である感覚はいまだに感じていますが、特に幼少期はそれが「怖い」「気持ち悪い」という感覚と繋がっていたな、と感じます。

そして、次に真紀さんから放たれるフレーズを聞いて驚きます。「その星では“個の乱れ”は“他者の乱れ”にすぐなるんだって」と。なぜか反射的に私は「うん!」と返事をしてしまいました。その言葉に私の身体は「そうそう!」と全力のYES。わかってくれて嬉しい!と反応しています。「今の“うん!”は早かったね〜。異様に早かった」と笑う真紀さん。

「だから“お腐れ様”には住めない星なんだって。腐れた人は自己浄化する必要がある。腐れた人は他者が排除するんですか?って聞いたらNOだって。自己浄化をするんだって。自分という存在がヒュ〜って消える感じ。周りを滅ぼしちゃうから。そのくらい極端な星。ヒューマノイドの自分、流動的な電気クラゲみたいな状態、意識ひとつでちょっとずつ形が変わるんですって。丸い頭の日もあれば、長い頭の日もある。その辺は遊べるんですって。それは周りのゼラチンを取り込んでやる作業なので、もし自分のなかに罪悪感やネガティブなものとか(その星ではない概念ですよ、と後ろが笑っていますが)そういうものが出たときは、自分がキュッと収縮して消える。分散されてしばらく集約できない。バラけて終わる。バラけるためには、その星の何らかの意思、神の意思が必要みたいですね。そこで他者胞子が始まるんだって。ダメな子っていう根っこが出てきたとき、このままやると連動して周りを腐らせるから、自分を滅するんだけど、パンッと拡散して他者にすぐ入っていくから、ワンネスが一瞬で体験できるんだそうです」。

ファンタジーみたいな話かと感じられるかもしれないのですが、私自身にとってはとても嬉しくて、聞いていてすべてが心地よく、芯から元気になる話でした。佐藤航陽さんの著書『お金2.0(新しい経済とルールと生き方)』(だったかな?多分。確か)を拝読したときに感じた、最新のフィンテックに支えられて「そんな世界観やコミュニティ、共同体があってもいいよね」と感じた読後の感覚は、うまく説明できないんですが、おそらくこの星の転生記憶があったからなのだと、ひとり納得していました。

「後ろの方(チームまりこ)からの補足をすると、ベースになる自分らしさを思い出すと、あらゆることが簡単にできるんですって。自分らしさを相手側に委ねると引っ張られる。自分の何かが足りないから、それが起きたんじゃないか、と。そのときは相手側に片足を突っ込んでいる状態になるので、その片足を外しなさいねって。あなたは完璧だということを思い出してもらうために、その宇宙の、あなたの由来の星の映像を見せました、と。星の名前はないです。高周波すぎて言語や音波にならないので。クリスタル系の、白くてきれいな銀河の映像は飛ばしてくれる。天体図鑑とか天体図を調べると名前はあるかもしれないですね。白い渦巻き模様のきれいな銀河から来ている。やっぱり白とか、クリスタルとか、透明感とか。『こういうまりこになれ!』という司令がずっとくるので。『それをあんたが地球上でやりたいって言っただろ!!』っていう守護霊さんが喝を入れてきます」。

はい。いつも私の守護霊チームのトップに座しておられる方は、白髭で大御所感のある強くてユーモアのセンスのある方です。ばっさりハッキリと要点を端的にお伝えしてくださる方。いつもありがとうございます。

「だからベースはものすごく美しくてきれいで強い人でございます。元気になったね。名前がわからなくてごめんねって後ろ(チームまりこ)が笑っています。ピコピコピコ、トゥクトゥクトゥクトゥクって飛んでくるんですよ。波動は高い。トゥトゥトゥトゥトゥって。すごい身体が喜んでる。身体はすごい正直。すごい喜んでる。作り話かわからないことでも身体はちゃんと喜んでくれる」。

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珍しくとてもスピリチュアル・ファンタジーな感じ満載の記事を書いていますが、おそらく同じように転生してきた仲間だろうという方々もいらして、今世での役割はそれぞれ違うものとして、お互いにこうやって出会い、人生の刺激や共感をすることを選んできているのだと感じています。書きながら、そこに途方もない感謝が湧いてしまったので、心からのありがとうを送りたいと思います。

話が逸れましたが、この星の記憶は私にとっては、身体が元気になるのを感じるエピソードです。とても懐かしくて心の奥深くが動かされる(とにかくエモい)と同時に、この私でいて大丈夫だ、と無条件の応援を感じるもの。なので、私自身の身体、体感を通じて、魂の記憶のパワーというものを実感しています。

私たちは幾度となく、転生を繰り返してきたけれど、それは私たちを過去に縛りつけるためにあるのではなく、本来は「大いなるリソース」として、目に見えないだけの素晴らしい豊かさとして、身体の奥底からみなぎるエネルギーに換えて取り入れるものなんじゃないかと感じています。

クラニオ・バイオ(頭蓋仙骨療法)のセッションでは、始まるときにクライアントに自分の身体のリソース(心地よい場所)を感じてもらいます。そして、そのリソースの心地よさに浸ってもらう。そうすることで安心して必要な変容を進めていきます。数多ある転生記憶もきっと私たちの応援のひとつでしかなく、決して今世限りではなく、何千年も何万年も何億光年も生き続けている私たちの魂からの応援なのではないか、と。そんな壮大なエールを受け取り続けているのだ、と。やはり私たちはただ魂の「器」として今世を楽しむ。それだけなのだ、と感じるに至るのです。

















いただいたエネルギーは大切に循環させていただきます🙏✨