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積極的に 未来を創る

恥ずかしながら

自分の物事の選択の仕方は、いつも他人によるものの中で育ち、生きてきた人生だったなぁ

そんな風に振り返ってる

小学生くらいまでは、
自分が「やりたい!」と思ったことは
家族の協力を得ながらやれてたと思う

それは、まぁ
主に部活だろうか

バスケ、ノルディックスキー、柔道、、、
やりたいようにやってた

中学生になって
部活はバスケ一本になった

勉強は、成績が順位づけ&公表されるようになって
自分の位置を客観的に知るようになった

客観的に見る目も、育ち始めた頃だったのかもしれない

周囲に、自分がどう振る舞うことを求められてるのかを
察する癖がつき始めたのも、たぶんこの頃

特に、対教師。

クラスのこと、生徒会のこと、部活のこと、
自分がどうしたいか よりも
自分はどうすれば周りにとってよいのか が

物事の判断基準になり始めた

自分のしたいようにいろんなことしてるクラスメイトを
羨ましいなと思いながら
そうはできない自分がいた

ほんとは、できないんじゃなくて
やらないという選択を繰り返してたんだ

それが

自分のライフスタイルとして染み付いたまま
無意識にそうすることが当たり前になったまま
高校生、大学生、社会人となり

30代も後半の今。

何十年も前のことまで遡って
そんなことを気づかせてもらったきっかけは

コーチング を 受けたことによる。


コーチングとの出会い

初めてのコーチングとの出会いは
もう、4年も前のこと

当時は、コーチングって言葉も知らず
自分の生き方について深く考える機会もなく

ただただ
流されるように目の前のことをこなして
こなせずに目を背けて

なんとなく 生きてた

いろんなことに
不満や不足を感じながら

けど
このまま その流れの中で生きていくのだろうなと

生きることに消極的だった

なんなら
いつ死んだっていいや……というくらい

自分を生きていなかった

あの出会いがなかったら

今頃何してたんだか

生きてたのかも

わからない

それくらい
私の人生を変えたきっかけが
コーチング

積極的に 前を向く力を
得られたきっかけ

これについてはまた
書いたいと思ったら書いてみるけど

今年は

自分のことに向き合うきっかけになったことを力に変えて
もっと 自力で前へ進みたい


積極的に、未来を選び取る

そう思ったのは
りんごひとつ🍎

いつも

「りんご食べたいな」

この言葉一つで、暗黙の了解よろしく自分がりんごを取りに行き、包丁を持ち、皮を剥き、家族に出していた

昨日

「じゃ、持ってくる」って

りんごと、包丁と、皿を
夫の前に出してみた

えーー って
めんどくさそうにされたけど

剥いてくれた

一個ちょうだい って

剥きたてのりんごを一欠片もらった

甘酸っぱくて、みずみずしくて

おいしかった

いつも私が剥くのと同じりんごなのに

誰かが剥いてくれたりんごは
こんなにおいしかったのか

当たり前のように受け身にやってたことを
任せてみようと思った瞬間だった

積極的に「人に任せる」「人に託す」

自分じゃなくてもできることを
誰かに

それは
自分がラクしたいから…ではなくて
(まぁ、少しはそうかもしれないけど)

誰かに頼られることは嬉しいことだけど
自分は、頼り下手であることにも気づいたから

困った時に困ったと言えない
助けて欲しい時に助けてと言えない

声をあげたら
誰かが手を貸してくれる かもしれないのに
声の上げ方がわからなくて
ひとりで抱え込んで生きてきた

もう少し
人を信じて生きてみたい

人間不信なわけではないけど
自分に自信がないのだ

誰も 助けてくれないかもしれない…って

けど
そういうのも
自分の 勝手な思い込み のひとつって

コーチングを受けたことがきっかけの一つとなって
気づかせてもらえたから


今年は
些細なことかもしれないけど
こういう
今までの当たり前を少し変えてみたいなと思う

再来週
地元で
夫婦向けに「ワンオペ」をテーマにしたワークショップを開くことにしてる

私はグループファシリテーターの役

自分の経験も元にしながら
いろんな気づきを共有して

世の中の「普通」や「当たり前」を見直すきっかけになればいいなと思う

積極的に、未来を創りにいきたい

具体的にどうするかは、もう少し詰めるけど

受け身や、後ろ向きな自分からは
少しずつ離れていきたい



今日もまとまりのないひとりごと(笑)

おーしまい。