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普通の木に擬態している桜を眺め、思う。

4.9 日

「散歩にでもいく?」
 夫に誘われて、喜び勇んで出かける。オードリーのパーカーを着込んで出かけた。

「近所だもん、お化粧要らないよね?ね、ね、化粧してないってバレてる?バレてるかな?」
 この2ヶ月間の夫は仕事が忙しく、休み無し、深夜帰宅、時々泊まりを繰り返していた。ここ最近は嫁もどこにあるか分からない夫の逆鱗に触れない様に(夫が疲れ切って居たので)、出来るだけ息を潜めて生きてきた。
 その反動でか、ここぞとばかりにまとわりつく。少し迷惑そうだ。

「そうだ、神田川沿いに桜見に行こうよ。」
 どちらも、もう桜なんて終わっちゃっている事にうすうす気が付きながら、桜を見に行く。

「ああ、桜終わっちゃってるね」と言い合う為に桜を見に行こう。

 案の定、葉桜どころか完全に緑。緑。緑。『え?ずっとこんなんですけど…え?私、常緑樹ですけど…』みたいなスンとした顔の桜を2人で眺める。

「普通の木に擬態しちゃってるね。」言った後に、ああまた『普通』って使っちゃったって、思う。

『普通』という言葉を使わない様に気をつけている。

「普通、出来るんじゃ無い?」
「普通、知ってるんじゃ無い?」

 使ってはいけない言葉。

 学生の時、会社員時代、私と周りの普通はほぼ同じだった(と思う)。同じ様な環境で育ち、同じ様な学歴を経て、同じ様な仕事をしている人しか周りにいなかった。世界はひどく狭かった。

 1:1:√2 をみんなが知っている世界。(例えば。)

 三島由紀夫もアガサクリスティも、全部読破しては無いけれど、知っている世界。(例えば。)

 「君子危うきに…」ってつぶやけば、近くの誰かが「近寄らず」ってつなげてくれる世界。(しつこい様だけれど例えばです。)

 知識や認識に共通項目が多くて、 会話に引っかかりもストレスも無く、ひどく平和な世界で生きてきた。

 今、職場で私の周りには色々な経歴の色々な人がいて、「本なんか1冊も読んだ事ないっす。」なんて言う人もいて、もう全然『普通』が違う。

 私の知っている事と、周りの知っている事は違い、『普通』なんてものは狭い世界の共通項目なだけで、世界は本当はそういうふうに出来ていたのだ。

「だからね、私、『普通〜』って言わない様にすごくすごく気をつけてるんだけれどさぁ、だからか、たまに職場で『普通知りませんよ!』とか『普通出来ませんよ!』とか言われると、なんだかイラッともするし泣きたくもなるんだよね…」

 『普通の木』みたいになってしまった桜を眺めながら、夫にポツリポツリと愚痴る。

 夫だって愚痴る。

「絶対に言っちゃダメだし誰が悪い訳でも無いんだけど、子供が病気の人が月に何日も突然休むとさぁ、それが何回も続くとさぁ、じゃあこの仕事どうすんの?って思っちゃうよね。誰も悪くないのは重々承知、でも仕事は無くならない、誰がやるの?俺か、じゃあ俺が悪いのかよ…みたいな」

 私達はチームで、人には言えないことを双方にだけ言える秘密結社を作っている。そして、他の人には絶対に言えない愚痴を時々愚痴りあう。常識とかやさしさとか道徳心とかを投げうって。秘密結社なので。

時に教え合う。

「『ルーター』の意味が通じなかった」
「ああそれは『普通』は知らないやつかもね」

「山椒魚を知らなかった」
「よ!井伏鱒二、俺も内容は朧げ」

 『普通』のブレを直していく。


 神田川沿いを何駅も歩いたら、久我山についた。

「久我山でオードリーのパーカー着ている私、ものすごい若林ファンと思われない?」
 夫に言ったら
「オードリーのパーカーだっていう事も、若林の実家が久我山にあるって事も普通は知らないよ」だって。
 知ってる。普通は知らない事を本当は知っている。でも、夫が知っていて嬉しい。

 駅前のパン屋で、カレーパン、クリームパン、フレンチトーストを買った。コーヒーはブレンドとアメリカン。カレーパンは夫が、クリームパンは私が、フレンチトーストは半分こして食べた。

 好むコーヒーもパンも違う、村上と言ったら夫は龍で私は春樹だ。『普通』にだって違いはあるけれど、私達に共通項目は多い。

 だって、チームで、秘密結社で、ただの普通の夫婦で。

普通の木に擬態した桜
桜の時(同じ場所)

そうそう、ドラマ「だか、情熱はある」面白かったです。若林正恭さんの声や喋り方がそっくりで、鳥肌がたった。

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。