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「大丈夫」「大丈夫」ってつなぐ手は命綱かよ笑っちゃうなぁ(涙)

 結婚する前、私達はずっと手をつないでいた。
 結婚前の夫は『手つなぎ魔』だった。
 街を歩いている時も、家でゴロゴロしている時も、車の運転中ですらスッと伸びてきた手に手を絡み取られた。
 あの頃夫はまだマニュアル車のスポーツカーに乗っていて、にも関わらず信号待ちの度に手が伸びてくる。免許を持っていない私はそんなことやって大丈夫なのかとハラハラしながら、握りやすい様に夫側の手をぶらんと座席に置いていた。事を思い出した。

 正直、嬉しさ半分、煩わしさ半分だった。夏は暑いし自由が無くなるし、私は骨が細く夫は骨太のタイプなので手をつなぐと、特に恋人つなぎをすると骨がゴリゴリされて痛い。

 手をつなぐといつも私は、『私達は運命のふたりじゃ無いんだな』と思っていた。いつか私達は別れるだろう、決定的に骨と骨、体と体が合わない。
 将来いつか「私は昔、背が高いめちゃくちゃなイケメンと付き合っていた事がある。」と自慢する。「めちゃくちゃイケメンと付き合っていた事があるの、運命の人では無かったのだけどね」と。ひ孫あたりに言うのだ。と思っていた。

 人より少し背が高い男と人より少し背が低い女の私達。運命のふたりでは無い私達は、けれども結婚をした。

 結婚してしばらくたって、私達はあまり手をつながなくなった。『手つなぎ魔』の夫はどこに行ったのかとても自由で少しさびしい。

 運命のふたりでは無いふたりなので(断定)、いつか離婚するかもしれないなとかなり本気で思っていた。


 (※以下、死に関する記述があります)



 3年ほど前とても身近な方が自死した。その頃よく相談にのっていた人。亡くなる2日前にも「また明後日ね」って最後は笑って別れた後だった。

 直後、泣く事も出来ず私はだだ怖くなった。
 もっと何か出来たのでは無いかという綺麗な罪悪感とそれとは別のもっとドロドロした罪悪感と共に、私は自分が死なない自信が無くなった。何かのタイミングで、自分が自分で無くなる事があるかもしれない。

 リビングで震えている私に「大丈夫」「大丈夫」「大丈夫」って何回も何百回も夫は言い続けた。
(容易に「大丈夫」を使わない人なのでよく考えたらとてもめずらしい)
 いつもは風呂にも入らずソファーで寝落ちしてしまう夫は、その時ばかりはきっちりお風呂に入って眠る時に一晩中手をつないで寝てくれた「大丈夫」「大丈夫」ってずっと言い続けてくれた2日間だった。
 (3日目は「もう大丈夫だろ」って言ってペイって手をはたかれた、嫁の見極めが絶妙である。)

 あの時ひとりだったらどうなってただろうなと今でも思う。

 私たちは運命のふたりでは無いだろう(断定)。けれどきっと私の命綱は夫だし、夫の命綱も私であれば良いなぁと思う。

 私達が今手をつなぐ頻度はとても少ない。ふたりで歩くときは私が自由に半歩前を歩いている事が多い。車はマニュアル車からマニュアル車に乗り継いでセミオートマチック車になった。一応夫側の手のスタンバイは常にしているがめっきり手は伸びてこない。

 私は女のあざとさを否定しないタイプなので、時々「最近手をつないでないなー」とか「手をつなぎたいから荷物片方もつね」とか言いながら夫に手を伸ばす。夫も何のタイミングか時々グイッと手をつないでくる時がある。(とてもドキドキする)
 そんな時は頭の隅にいつもあの夜を思い出すのだ。

 私はきっとこの人と別れないだろう。今ではかなりの割合でそう思っている。


 「大丈夫」「大丈夫」ってつなぐ手は命綱かよ笑っちゃうなぁ(涙)

 手をつないでいる絵を見て、ふと浮かんだ短歌だ。

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