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目白で気が引き締まっているのは私です

「次は目白。目白です」
山手線のアナウンスが告げる。まだ一駅しか乗っていないのにな、と惜しく思う。そして胸が高鳴り始める。
浅くなり始めた呼吸のままエスカレーターを登り切り、改札を出て右へ進む。そして20歩くらい歩けばすぐに門が見える。学習院大学だ。

私は大学1年〜3年くらいにかけて、よく学習院大に行っていた。それはバレーボールの練習をするためだ。私が通っていた大学と学習院大は提携のようなことをしていて、毎年対抗試合がある。それがきっかけで学習院大のバレー部の人たちと仲良くなり、自分の大学で練習がない日に練習に参加させてもらっていたのだ。

練習に参加していた目的はただ一つで、学習院大にいる2学年上の高田さんという先輩がとにかくうまい選手だったのだ。決して派手なプレーをするわけでもなく、全国大会出場などの実績がある選手でもない。ただし、トスが異常にうまく、ボールに込められている意思が明確にわかる。その技術をどうしても教えてほしくて、学習院大バレー部の門を叩いていた。

しかし、私はこの先輩が怖かった。強面でもないし、すごく意地悪なことをしてくるわけでもない。ただあまりにもトスがうまいから勝手にびびってしまったうえに、その先輩の会話のテンポにうまく馴染めず謎の迫力を感じてしまっていたのだ。完全に思い込みなのだが、高田さんもそれを面白がってわざと高圧的に接してきたりした。

でも高田さんは、プレーになるとめちゃくちゃ真剣で、「教えてくれ」と懇願する私をかなり可愛がってくれていることがわかった。体育館に入るとスイッチが入り、厳しくも細かくチェックしてくれるのはありがたかった。


そんなことがあったから、目白駅について学習院大の敷地に足を踏み入れるときは緊張していた。部室にもよく行っていたが、同学年の友達たちとわちゃわちゃ話していても、高田さんがくると「うっす。今日もトス教えてほしいっす」と中学生の頃に戻ったかのような態度しか取れなかった。

そんな一連のやりとりをしてから、体育館に移動する。学習院大の体育館は天井が高く、フロアもかなり広い。隣でバスケットボール部が汗を流していたり、フェンシング部が独特の金属音を鳴らしながら練習していたりして、自分の大学の練習環境とは大違いだなといつも驚いていた。そして練習が始まりトス練習になると、私は高田さんのトスをとにかく間近で見た。そのトスを見ているときは、周りの音が一切聞こえなくなるくらい集中していた。

指の開き具合は?
ボールが手に触れてから離すまでのテンポは?
トスを上げたあとの手の形は?
目線は?

そうしてジロジロ高田さんを見てから、「自分のトスを見てください!」といって見てもらう。あーでもない、こーでもないと試行錯誤をして、高田さんから「それ!!!!!!」と言われたものを覚える。それを何度も繰り返した。

高田さんは引退し、ほかの先輩たちと違って練習には一切顔を出さなくなった。その後どうなったかもわからない。ちょっと謎な人だったし、女癖が悪いみたいなよくわからない噂もあった。どうでも良いのだが、自分の師匠となった人には自分が引退するまでプレーを見てほしかったなと、少しだけ寂しさを感じた。


時は流れて大学3年生。愛媛大学と対戦していたときに、高田さんに教えてもらったトスが全てわかったときがあった。

バレーボールはボールをキャッチするのは反則だが、まるでキャッチしてボールを投げているような感覚でトスをあげることができ、アタッカーの呼吸もわかる。そして、相手の読みを外すテンポでトスを上げることができるのだ。試合には負けてしまったが、「あ、俺きょうは完璧だ」と思った。高田さんに教えてもらったものが全て身についた瞬間だった。

目白駅を通ったり、降りたりすると、学習院大の門をくぐったときのあのなんとも言えない緊張を思い出す。高田さんに教えてもらって身についたトスの技術のおかげで、自分でも惚れ惚れするプレーをできることがあった。毎日の生活で何かの役に立つことはないけど、それは私にとって大切な大切な瞬間をもたらしてくれたのだ。

目白にいると少し後ろを振り返りたくなるときがある。高田さんがいるかなとか思ってしまうときがあるから。


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