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スカートの裾

 すれ違う車のドアの下から、スカートの裾だろうか、柄物の布が出ているのが見えた。はみだしたのがヒラヒラと揺れていたので、長い丈のスカートだと思われた。ドアを閉める時に違和感を感じないくらい、急いでいたのか。途中で気づいて、信号で止まった時に直していればいいけど、と思った。見知らぬ人でも、今回のように何かが起こっているのに気づいていない様子だと、知らせたいがどうするべきか分からず困る。
 先日、銀行のATMコーナーに行った。隣の台に来た人から声をかけられた。質問の内容が私も分からなくて答えられず申し訳なかったが、質問しやすい人と思われたのだろうか。嫌な気はしなかった。
 困ったときに、聞くかどうか迷って聞かない人と、聞けそうな人を瞬時に探して声を掛ける人に分かれると思う。緊急の場合は苦手でも誰かに声をかけるだろうけど、そうでなかったら聞かないことも多い。私の両親もそうだった。ホームセンターに行った時、欲しいものがどこにあるか分からなかった。その時店員に聞くこともせず帰ろうとしたので、私が場所を尋ねて買い物ができた。どうも、知らない人に声を掛けるのは面倒なようだった。親にこういう一面があるのを知って、少し驚いた。
 困っていて、知らない人に声をかけなくてはいけない状況になると、自分が話しやすそうな人がいたらいいが、と願う。今の時代、見知らぬ人から話しかけられたら警戒するし、子供が話しかけてくる知らない大人を見ると、すぐ変質者だと思ってしまうかもしれない。
 子供の頃。観光地に行くと、家族写真などを撮るのに、通りすがりの人に写真撮影をお願いする光景がよく見られた。父は写真を撮るのを頼まれると、照れながらも写真を撮ることに集中していた。そして、撮られている人たちも「ありがとう」と感謝の意をあらわすかのように、微笑んでいる。こちらが撮ってもらいたいときは、積極的に出られない性質のためか、頼めそうな人がいないときは家族写真が撮影されることもなくなった。
 感じよく声掛けするのは難しい。こういうことも、経験を重ねないとできないのだろうと感じる。
 
 

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