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一生の宝物

8年前、監督としてイチロー杯に出場した。クラブとしてイチロー杯に参加するのは初めてだった。愛知県内では有名な大会で岐阜や三重のチームも参加する。258チームの参加だったと記憶している。8ブロックに分かれ、各ブロックで優勝した8チームがイチローさんの地元豊山グラウンドで3位以内を目指し熱戦を繰り広げる。

何といってもこの大会の目玉は年末の表彰式。イチローさん自ら子供達にメダルをかけてくれる。子供達にそんな想い出を作ってあげることができたら一生の宝物となる。条件は3位以内。かなりの難関だ。

5月頃からブロック予選が始まる。ダメもとで参加した大会であったが、順調に勝ち進みブロック決勝にコマを進めることができた。実はこの時点で奇跡。絶対的なエースはいたが、その子が3点以上失点するとまず勝てないチームであったから。打撃が弱かった。

ブロック決勝は序盤の相手のミスに付け込んだ得点をエースが守り切った。ブロック優勝。あと2勝という所まできてしまった。準決勝で負けても3位決定戦で勝利すれば子供達の夢は叶う。

ベスト8のくじ引きでは三重の優勝候補チームとドラゴンズの石川 昂弥君所属のチームだけは避けてたいという願いが叶い、隣のブロックとなった。石川君のチームとは他の大会で何度か対戦したが勝ったためしがない。彼ひとりにやられていた。

準々決勝はそれまでにもイチロー杯で何度か3位以内に入っている小牧市の強豪チーム。初回のポテンヒットで先制すると終盤にランナーひとりを置いてクリーンナップがホームラン。4-0で完封勝利する。あと1勝だ。我々スタッフも興奮していた。

準決勝では名古屋の強豪チームと対戦。6回表まで0-0の好ゲームであったが6回裏にランナーひとりを四球で出し、下位打線の子にライトオーバーを打たれてしまう。それが決勝点となり0-1で敗戦してしまう。

もう1回チャンスがある。3位決定戦も名古屋の強豪チーム。最終回まで0-0という胃が痛くなるような展開。そして最終回に四球を交えた2アウト満塁のピンチを迎える。9番の子に代打を出してきた。とても小さな子だった。左バッター。初球、2球目とセーフティバント失敗で追い込む。「なぜここであの子が代打なのだろう?」3球目もやってくると思いサードを前に出す。

やってきた。送球が逸れなければアウトだ。

ほんの30cm逸れた球と一緒にファーストの足も離れた。0-1で敗戦。泣き崩れる子供達とご父兄。初出場のイチロー杯は4位に終わった。


2019年の5月に転勤から戻り、6年生チームのヘッドコーチに就いた。もちろんイチロー杯へ出場。試合前の合言葉は○○ヘッドの苦い思い出を忘れさせてあげよう。イチローに合わせてあげよう。

そして夢は叶う。

優勝した。表彰式で子供達がイチローさんに金メダルをかけてもらった。緊張した子供たちの顔。一生の想い出となるだろう。表彰式後の記念撮影ではイチローさんの隣に立つことができた。握手をして話もさせてもらった。ものすごいオーラだった。

一生の宝物。


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