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わからない、は、こわい、じゃなくて、おもしろい。

なんだか炎が消えかけているような。

飽き性というのもあって、ちょっとだけ日々のもろもろに嫌気が差している。そう、それは、自分が関わっている仕事/プロジェクトに対してというよりも、今の自分自身のあり方に対して、気持ちが下がっているみたいで。

いつも、「自分にとって、自分がおもしろくありたい」と思っている。だれかにおもしろいと思ってもらえるのもちろんうれしいのだけど、だれが何と言おうと、自分で自分を一番おもしろがりたいのだ。

バーテンダーのように「サービス」を扱う仕事に関わらせてもらうなかで学んだのは、「まず自分が楽しめないとお客さんにだって楽しんでもらえるわけがない」という感覚だった。だからこそ、自分をおもしろがる/おもしろがらせるための技術みたいなもんが必要なんだと。

今の自分におもしろみを感じていないのは、なんとなくパターンが見えてきたからじゃないか。

「ああ、この先を行けば、なんとなーく、あそこにたどり着くんだろうな」

領域的、技術的にも頭打ちとまではいかないけど、予想がついちゃうし、その通りに進んでいくことは、予定調和に乗っかっているようで、尚更におもしろみを感じないし、なんだか悔しい気もする。

わかりきってるものだけに手を出すおれってどうよ!?って問うよね。

「自分をおもしろがる/おもしろがらせる」というのは、「自分を驚かせる」ことだし、超シンプルにいえば、自分のテンションをだだ上げするためのツボを押すようなもの。

自分のテンションを上げるためにも、予想だにしなかった驚きがほしい。そうなってくると、これまでの日々をこなすパターンを変えていかなきゃいけない。「破壊と再生」なんてことをよく言うけど、時間をかけて整えて分野や手法をいったん手放しちゃって、そこから新たな開発を進めていくみたいな感じかな。

でも、これがほんと大変なんだよなあ。どうなるか、なかなかわからないんだよなあ。こわいんだよなあ。

とはいえ、今の自分には絶対的不可欠な儀式なのですよ。そうでもしないと、自分の中でゆらゆらと燃え続けていた炎が消えるのは目に見えているですもん。

安心安全のまんねり、か、恐怖危険のアドレナリン、か。まあ当然、後者をとるんだけどね。話の流れ的にも。

わからなくてこわいことにぶつかってみると、驚きの連続だろうから、そこそこテンションあがるんじゃないかな。「わ、そんなんあり!?」「 よくわからんけど、新鮮!!」ってな、あんばいに。ドキマギするけど、学びはきっと多い。

わからない、は、おもしろい。こわい、も、おもしろい。わからない、は、こわい、じゃなくて、おもしろい。

ああ、そういえば、妖怪って、こわかったり、よくわからない類だから、おもしろみを感じるんだろうなあ。

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