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洗い場で学んだ仕事のいろは

鳥取でぼくが暮らす「な〇/アキナイイエ」では、今3人が住んでいる。基本ルールは決めないようにして、共有生活ってのもあり、こうしたほうがいいかもなぁ(そうしてくれたら助かるなぁ)、と思うことはなるべく伝えるようにしている。

そのなかの一つに、「なるべく同じ食器は重ねて置いてほしい」というのがある。一人暮らしと違って、食器がすぐ溜まるし、量もそこそこあるので、まとめて洗うとき分類しているほうが洗いやすいから、という理由だ。

だし、ぼくのなかで、洗いものを素早く終わらせるための下準備として体に染みついていたことでもある。飲食店で働いてきた経験が、家事に活きてるのはなんだかラッキー。

数年前に、六本木ミッドタウンのなかのレストランで働いていたことがある。入口にあるコーナーバーのバーテンダー見習いとして採用してもらったが、全体像をつかむためにサーバー(ホール)のほうも勉強してね、と最初は、そこからスタートした。

で、一番最初の最初はデシャップ(洗い場)からやることになったんだけど、皿洗いを舐めてかかってたら、冷や汗どころか、泣きそうであった。自分が無様であった。食器の前にただただひれ伏してしまった。人間が人工物からの敗北を味わった初めての日。

100席以上あるお店で、一度にやってくる食器の量が尋常じゃない。それでもって、キッチンやホール担当の人とコミュニケーションをとって、次の提供で使うお皿やグラスで少なくっているものを嗅ぎ分け、予測しながら、文字のごとく山のように積まれた食器を洗い分けていく。

普段、デシャップを担当しているのは、気さくな中東系の外国人だったけど、彼が教祖のように思えた。「ラシード(名前)すげぇぇ」とまたひれ伏してしまった。漫画『バンビ~ノ』主人公・伴省吾と同じように、エンタメの裏側にある戦場で挫折を味わった。

見て盗めの世界だ。ホールをしながら、食器を洗い場に運ぶさいにラシードの手さばきを見る。ひょうひょうとこなしているが、どこかにヒントがあるんじゃないかと必死だ。

すると、最初に気づいたのが、持ち運ばれた散々となった食器たちを分類して、ある程度溜まってきてから一気に洗い始めている。そっちのほうが、食洗器に揃えやすく、食器棚に戻すときにもあちこち動かなくていいので無駄が減る。効率的だ。「仕事が早い」はこうやって生まれるものか。

ラシードを真似るべく、まずは頭でイメトレして、そのイメージに体が付いていくようにすこしずつ慣らしていくと、初日の敗北が嘘のように、洗い場が楽しく居心地のいい場所へと変わっていった。

よくよく考えてみたら、バーでもカクテルメイクするときは、一杯に使うボトルを準備して、使ったらすぐに片づけて、整理しながら作っていく所作に近く、洗い場でやっていたこととリンクする。

さらには、ライターとしても、取材前/後の情報整理などで構成を考えてから書きはじめることがほとんどと気づき、「準備」と「整理」であるのが仕事の基本であると知った(のちに『佐藤可士和の超整理術』を読んでなるほどなと思ったことでもある)。

洗い場にかぎらず、飲食業では、見て盗むという学び方も学んでこれて、それが独学でも「書くことを仕事に」をかたちするために役立った気もする。

”職業”でなく”職能”としての飲食はおもしろいし、そこを経験しているクリエーターがどこか動きが違うように見えるのは、やはり気のせいじゃない。作品がかたちになる前の、生み出すまでの見えにくいプロセスを気を遣っている。

たかが洗い場、されど洗い場。お皿一枚洗うのも、どっかでクリエイティブにつながっていく。あのときの感覚を忘れないようにしなきゃだな。あ、あと、この場を借りて、これまでに割ってきたお皿とグラスにお悔み申し上げます......(す、すみませんでしたー!)

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