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ファックしてる場合じゃねえオキナワ

暮らしていると目に映ってくるものもある。

「沖縄ってどんなところ?」というイメージについて、たぶん、ぼくのように沖縄で育った人と、観光で訪れている人たちとは大きくズレがあるんじゃないかと思う。

海がきれい!だとか、豚肉やそばがうめぇ!だとか、そういうもんは一時的に来た人がワァッと感動するものでしかなく、ミーハー心と、そこに居座れている自分を愛でるかのごとくファッションで沖縄を語りはじめる輩をみると、ああ、視野が狭くて、洗脳されてる人たちだ、と思いながら、ぼくはここまで生き長らえてしまった。

まぁとはいえ、本当の沖縄はこんなもんじゃあないっけ?とこの記事のようにグチグチ言いたいわけではない。

パッと思い浮かんだのは、出生率が高いけど、デキ婚率が高く、離婚率が多くて、母子家庭率が高いのが沖縄で、だらしない大人、特に男が多いというのが実情があるということ。

今ではそこまでは思わないが、地元の人だけじゃなく、よそからもダメな男が集まる(彼らを引き寄せる)のが沖縄なんじゃねぇか、と思う時期があったくらいだ。

「大見謝」という性を授かり、ちゃんと辿れる血筋もあって(家系図は首里城に保存されてるらしい)、沖縄という地はルーツなのだけど、、いやルーツだからか、コインの裏表のように、愛情と憎悪が対をなすように心に宿っている。

自分の馴染みのある場所や人、そして琉球王朝という国の歴史が織りなしてきた深みある文化に愛着があるものの、陰と陽でいう先ほどの”だらしない大人”などが示す、暮らしのなかにチラチラと目移りしてくる陰の沖縄に対しては、どうしても厭気がさしてしまう。

また、そもそも「偏りがある」が大前提のメディアが映し出す局所的な沖縄、あるいは自分が見たいようにしか見ようとしない沖縄が、だれかの口から語られると腹の底から煮えくり返るなにかを感じてしまうこともある(それは、なかなか態度には表れなくないのだけど)。

ここまでつらつらと書いてきて、いうほどの結論もたいした提案もないのだけど、沖縄の人もそうじゃない人も「自分の目に見えてるものは(見えたものは)、全体を語るものなのか、それか微々たる一部分でしかないのか」という疑いの眼っちゅうやつを、コンドームなんかよりも前に持っておかんといけん!とだけ記しておこうか。

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