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憧れを断つ

憧れる人がいるってのはいいこと。だけど、憧れすぎちゃいけんよな。その人を追いすぎると、その人に影響されすぎると、なんかよくはないかも。そう考えて、その人たちの情報を遮断する術を探りはじめている。

その人を知るための最低限のバックボーンまでの情報はいい。ただ最近の発言だとか、その人たちの作品に触れすぎると、自然とまねようとしちゃうというか、いつの間にか脳みそをハックされてるようなこわさがある。自分らしい表現のつもりでも、他人の受け入りでしかなく、自分を失ってる状態(それを自覚できてないときが一番こわい)。

他人にはなれない。憧れる人は、なれない自分だから、憧れる。

M-1を予選からずっと観察していると、たとえおもしろいネタをやっていても、「ああこの人たちは"あの芸人"に憧れちゃってるんだろうな」と苦笑いしてしまうときがある(同じ舞台に立つ側になるとまた違った感覚なんだろうなと思いつつ)。

もちろん最初は、何事もまねごとかもしれないけど、プロとしての表現と捉えるのあれば、それは若く青すぎる。自分たる表現を見つけたどり着けるのは、ほんとに試行錯誤の末なんだろうから。

憧れている対象を自然とトレースしてしまう、もっと最悪なのは、同化しようとしてしまう、そこから抜けきれなくなるとただの「量産型」でしかない。どこにであるザクになりたいわけじゃない。

だから、憧れてるなら、敬意を持って、情報を断つ。数人のmcタレントが、「テレビをあまり観ない、特に、他のmc番組は」と共通して言っていた意味を、少しは理解できるようになったような。

インスパイアーされたくない。

言い換えると、インプットをやめる。自分のアウトプットに集中したほうがいい。ふり返らない。前に進んでいくだけ。なんか意識高い文章になってるのはわかるけど、たまには真面目を貫いて記録したほうがいいと思っちゃった。

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