拒食期は思い返しても最低な人間だった件
私は3年前に食べる量を徐々に減らす拒食的なダイエットをしていました。
写真は2017年の今くらいの時期、私が実際に食べてたお弁当です。
この程度の量を三食食べてました。
減らせば減らすほど、体重も減っていく。
その快感に夢中になっていました。
その頃は、自己肯定感の低かった私が「優越感」に浸りまくっていた時期でした。
「痩せている」というレッテルは、今まで自分に貼り付けられてきた
・デブ・自己管理ができない・だらしない・ダサい・モテない
などのマイナス要素を払拭できる素晴らしいものでした。
そして、大変失礼ですが、すれ違う人全員に対して、デブだ、私よりだらしない、なんであんなに食べられるんだろうと、思いました。
心がどんどん醜く、黒く固くなるのがわかりました。
痩せていない人間なんて価値がない、でも、私に寄ってくる男は全員体目当てだ、努力もしてないくせに気持ちが悪いと思っていました。
今思い返すと本当に最低な思考だと思いますが、これは、小さな頃から周りの声で作られた価値観です。
「太っているからいじめられる」「太っているから恋なんてしてはいけない」「太っているから自分に価値がない」
だから、人生で最大に痩せたその時は、もう自分は劣っていないと、胸を張って生きられると思ったんです。
私が痩せて手に入れた幸せは、
・他人より痩せているという優越感・ダイエットを成功させたという自信・見た目が好みだと言ってもらえる容姿
です。
でも、全て痩せているという条件付きの幸せです。
痩せていない私は価値がない。
だらしがなくて、自己管理ができないダメな人間だ。
太ってはいけない、太ってはいけない、太ってはいけない…。
栄養不足の頭では、24時間毎日食べ物のことしか考えられず、地獄のようでした。
音はぼやけて聞こえるようになり、
食事は食べたくもない健康食品のカロリーを数え、決めている摂取カロリーより1カロリーでもオーバーしていれば、激しい動悸と不安でパニックを起こし、部屋にこもって過食嘔吐していました。
当時の彼氏には毎日鬼のようにラインを送り、自分を本当に好きでいてくれるか試していました。
もう少し太ってもいいと言われても、信じられませんでした。
むしろ、努力をないがしろにされた気がしました。
そこから数年かかって徐々に、徐々に、
「痩せてても全然幸せじゃないな」
って、気づきました。
私が欲しかったのは、太った、痩せたくらいじゃ揺るがない、自分が自然体で存在するだけで、そのままの自分が愛されるという安心感でした。
自分のそのまま認めてあげることがスタートなんだと思います。
そしたらきっと、自分をそのまま認めてくれる人が現れて、自分も、他人のそのままを認められると思うから。
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