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【人財育成論27回】若者が管理職になりたくない、出世したくない理由!

出世することの「価値」が揺らいでいます。

日本の昔から、昭和の時代まで、「出世」という言葉は何気なく無意識的にみんなが使っていたものだった。特に、男性においては人生においての目標の1つに占める割合も大きく、ある意味、相対的な優位性を確保する競争に(仕方なくも)参加させられていました。誰が課長になっただの、社長はこうだだの、おっさんたちは酒場で管をまいたものです。
出世すること自体が「価値」であったといってもよいでしょう。人と人はマウンティングというか、どちらが上か下かなど、人は地位や権限をめぐってしょうもなく競争してきたものでした。人間社会とは所詮そんなものであるともいえます。

そうした出世ゲームは昭和・平成の時代から令和の時代にかけて、その意味を問われるようになりつつあります。「管理職になりたくない!」という若者が増え、年長世代は戸惑う構図がここ数年続いています。

いいポジションを得ることに価値を見出さない

そもそも「偉い」って何なのか?という根源的な問いがあります。多様な価値観が認められ、一人ひとりキャリアを考えるとなると「社長になる」「偉くなる」「出世する」といったキャリアモデルにも疑問が投げかけられるようになってきました。そもそも出世する目的は、自分の見栄であったり、しょうもない虚栄心であったり(ライバル・同期との差とか)、少しの給与差であったりするものです。若い人たちはそれに気づいているのかもしれません。

とはいえ、出世するには、上司に面従腹背するとか、調子をあわせる、恩の貸し借りに追われる・・・自分の働き甲斐・キャリアにとって大きな負担、コストがかかるのです。派閥闘争、足のひっぱいりあい先輩についていくなど人間関係がとってもメンドクサイのです。出世のために大切な時間、自分のプライベートの充実、タイパを失ってしまうことになります。

日常から、
・空気を読む
・相手の感情をみつつ、根回し、調整、配慮
・社内的な人間関係作り
・挑戦よりリスク重視で波長を合わせる
・新しいイノベーションより社内政治にいそしむ
ことに集中しなければいけないですし、そうしたスキルは、他の会社で通用しにくいものです。

権威主義の組織風土でゴマすり、調子いいことを言う、責任を部下に押し付け(無意識的に)自分も疲弊してしまいます。そうしたら同然、「管理職になりたくない」となるのは自然のことでしょう。リーダーシップがあったり、リーダーの経験や素質があったり、極端に野心が強い人以外は(笑)。

管理職になるデメリット

プレーヤーをしながら上から押し付けられる目標達成を強いられる、上からは無理難題が降ってくる、色々管理部門から指導が入る、10人以上の人事評価をしなくてはいけない、賃金があがらないのに、人事評価で厳しい評価をしたら部下から批判される、上司と部下の間で調整に追われる、問題が起きたらら自分のせいにされる、ハラスメントもあるし業務命令でも強い口調でもいえない・・・・こんなことばかり。そもそも管理職というのは辛い立場です。サラリーマン川柳ではないですが(笑)

1.目標達成責任のプレッシャーや責任を強く求められる
2.指示命令で部下を動かせにくくなっている
3.働き場や環境整備をしなくてはならない(ハラスメントが起きたら大変なことになる)
4.人材育成も同時に求められる
5.イノベーションに挑戦しようとしたり、しょうもない業務やルール・不文律を改善したら誰かの横やりが入る

ということからして、権限と責任が非対称なのかもしれません。まずはその状況を改善する必要があります。

管理職になりたがらない状況で人事は何をすべきか

前回も話したのですが、管理職になるべき人を早めに選抜して育成していくのが前提になります。会社はどうあるべきか?その時に求められる管理職のコンピテンシーは何か?を設計していくことからはじめるとよいのではないでしょうか。
基本は、管理職に裁量と自由を与えるような改善が日本の会社には求められるのだろうと思っています。

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