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恋する昭和おバカ男子


昭和時代の小学男子がいかにおバカかを伝える逸話は、今でも枚挙にいとまがない。

彼らは空き地の土管を秘密基地に見立て、教科書の偉人の顔に意味もなくひげを書き、その机の中にはしわくちゃのプリントとカビの生えたパンが息づいていた。

指立てピストルの打ち合いでは絶対に当たってないと言い張り、どうしたら仮面ライダーになれるかを本気で考え、女の子はスカートをはいた宇宙人だと思っていた。

この話はそんな昭和おバカ男子3人組の顛末である。


小学3年生当時、僕はひどいアレルギー性鼻炎にかかっていた。
週に2回、学校帰りに耳鼻科に通うのが習慣になっていた。

そこで出会ったのが、同じクラスのトウやんとカズヒト君だった。
僕らは、同じ耳鼻科に通っている偶然に驚き、通院帰りによく遊ぶようになった。


トウやんはかぎっ子だった。
両親が共働きで、いつも首から家のカギをぶら下げていた。
当時としては、珍しかったでのはないだろうか。

耳鼻科から帰ってきても家には誰もいなかったから、僕らは好き放題できた。そんなわけで、必然的にトウやんの家で遊ぶことが多くなった。


家に着くと、トウやんは慣れた手つきでチーズサンドを作ってくれた。
まずホットサンドメーカーをガスコンロで軽くあぶり、その内側にバターを塗る。
その上に食パン-チーズ-食パンを順番に重ねると、ホットサンドメーカーをしっかりと閉じて、ガスの火で焦げないようにまわし焼く。

コンロの火をつけたこともなかった僕とカズヒト君は、尊敬のまなざしで出来上がりを待っていた。

腹ごしらえをするとたいていは外に出て、銀玉鉄砲で遊んだり、かんしゃく玉を鳴らして度胸試しをしたりした。


でも、その日はあいにく雨が降っていた。
トウやんの持っている漫画を3人で寝そべって読みながら、たわいもないボーイズトークをしていたのだった。

そしてボーイズトークにはお決まりの、好きな女の子の話になった。
みんな盛り上がりつつも恥ずかしくて、なかなか誰が好きかは言い出せない。

そこで、一斉のせでそれぞれ名前を言うことにした。
「言わないのはナシだからな!絶対に言えよ」
トウやんがそう言うと、僕らはちょっと緊張した。

「いっせいのせ」

「朝比奈さん」
「あさひなさん」
「アサヒナさん」

3人の声が響き渡った。


同じ名前だった。

僕らはびっくりして顔を見合わせる。
そして、互いに笑顔になる。

耳鼻科が一緒だけじゃなくて、好きな女の子まで一緒だった。
これはもう、偶然では片づけられない。
奇跡と言っていいだろう。


それから後の時間は、朝比奈さんのどこが好きかの話し合いに終始した。

3人で話していると、ちょっと気になる存在程度だった彼女が、もはや好きで好きでたまらない存在になってしまったのが不思議だった。


その日以来、僕らの集まりはそれまでとは違ったものに変化した。
どうすれば、彼女に近づくことができるか、話すことができるか、気持ちを伝えることができるかという作戦会議を、僕らは真剣に議論した。

不思議とお互いが恋のライバルだという思いはなかった。
むしろ同じ子を好きになった同志という関係だった気がする。


恋という言葉さえ知らない小学男子には、温かくも息苦しい、ドキドキしながらもモヤモヤするその気持ちの処理方法を知るすべはなかった。

3人でその気持ちを共有することで、解決できると無意識に考えていたのかもしれない。


長いこと話し合って出た結論はこうだ。

とりあえず彼女の家に行ってみようと…。
作戦も議論もあったものではない。
行き当たりばったりが、彼ら小学男子の真骨頂である。


僕は、前の学年で下校班が彼女と一緒だった。
そのおかげで、彼女の家を知っていた。
図らずも、僕が先頭となって彼女の家を案内することになる。

その一角は新興住宅地で、似たような2階建ての家々が立ち並んでいる。
平屋建てに住む僕にとっては、その景色がひどくまぶしいものに見えた。

表札を確認して、彼女の家に着いたことを2人に知らせる。
2人とも嬉しそうではあるが、落ち着かず、もじもじとせわしなく動いている。


「どうする。チャイム鳴らすか?」僕が聞く。
「バカ、用もないのに鳴らしたら怪しいだろう」トウやんが真っ赤になる。

「じゃあどうする?」
「ひとまず一周してみよう」
カズヒト君が言いながら、もう歩き出している。

近所を徘徊する方が、よっぽど怪しいと思うのだが…。


彼女の部屋であろうと思われる2階の小さな窓を眺めながら、僕らは家のまわりを一周してみる。

もちろん何も起こらない。

2階の窓に小石を当ててみようかとも相談したが、彼女の部屋である確証はない。
父親が出てきたら、怒られること必至だ。


その時だった。
目の前の道をバキュームカーが通りかかった。

バキュームカーと聞いても、ピンとこない人が多いかもしれない。
当時川越では、汲み取り式のトイレ(いわゆるポットン便所)が主たる家庭用便所であった。

一定期間ごとに、各家庭から糞尿を長いホースでバキュームカーが汲み取り、回収してくれる仕組みだった。
そのホースの先端には、軟式野球ボールが蓋としてはめ込まれていたのをよく覚えている。たぶんサイズがぴったりだったのだろう。


「彼女の家もポットン便所なのかな」
バキュームカーを見たカズヒト君がそうつぶやいた。

彼女の家に着いたものの、なすすべのなかった僕たちはそこで最大の過ちを犯すことになる。

「そういえばポットン便所の穴はどこだ」という話になったのだ。

今から考えると変態であり、ストーカーであり、犯罪である。
小学生であってもやって良いことと悪いことがある。
まあ、デリカシーのかけらもない彼らには、そんな論法は通用するはずもないのだが。


しかしである。
いくら探しても、汲み取り用の穴が見つかない。

家の裏周辺を探し回るが、それらしき蓋はない。
その直径30センチの蓋を見落とすはずはないのだが、立ち並ぶどの家の裏側にもそれは見当たらない。奇妙なことだ。

その穴は家の裏側にひっそりと佇んでいるのが常で、決して表舞台に現れることはない。そういう存在だ。

僕らは3人ともポットン便所の家で暮らしていたから、その手の知識は豊富だった。
作業員が糞尿を汲み取っている様子を、飽きもせずに見守っていたことさえあるのだから。


その時、僕は新しい可能性に思い至った。
「水洗便所なんじゃないか!」

「あっ」と声をあげて2人が僕の顔を見る。
ふたりもその可能性に気づいたようだ。
その顔は心なしか、輝いている。


当時、川越では水洗トイレが普及しつつあった。
新たに開拓された新興住宅地は水洗設備が整っているのが普通だった。
つまり旧市街と新興街とを分ける境界線が、水洗設備の有無を分ける線でもあったのだ。

彼女の家も新興住宅地だ。
水洗の可能性は極めて高い。
ここまで探してもポットン便所の穴が見つからないということは、水洗だと考えて間違いないだろう。



僕らと違い、新しくきれいな水洗付きの家に住む彼女を想像すると、彼女への憧れはさらに高い次元へと移行した。
当時の僕らにとっては、もはや大気圏外レベルである。
何しろ、ポットン便所じゃないのだ!

彼女の家の裏で、夢見がちな僕らは、時を忘れてそんなことを話していた。



そして、その日の夕方のことである。
僕は母に買い物を頼まれる。
煮物に使う醤油が切れてしまったから、買ってきてというのだ。
夕食を食べられないのは耐え難いので、嫌々ながらも外に出る。

家から一番近いスーパーはマルエツだった。
それでも歩いて15分ほどかかる。
夕闇が迫ってくる道をひとり歩いていると、少し心細い。

なんとか夕日が落ちる前に、マルエツの前の道にたどり着いてほっとした。

ほっとしながら前を見ると、朝比奈さんと友人の寺沼さんが、こちらに向かって歩いて来るではないか。彼女たちも買い物の帰りだろうか。


今日の事もあるので、僕はすれ違うまでの距離をドキドキと緊張しながら歩いた。彼女の顔を見ることもできない。

そしてすれ違う直前、彼女の声が響いた。

「テツのバーカ」

僕が驚いて顔をあげると、そこには少し恥ずかしそうな、でも本当に軽蔑し切った朝比奈さんの顔があった。

あっけにとられて立ちすくむ僕の横を、ふたりは小走りに去っていってしまった。


その瞬間、僕は理解した。
彼女の家の裏でのトイレの話を聞かれていたのだということを…。

もはや絶望的である。彼女から好かれることはもう一生あるまい。

僕らは変態であり、ストーカーであり、犯罪者と同じだった。
いやそれよりもたちが悪いかもしれない。


もし、彼女の家族にも聞かれていたとしたら…。
そしてその可能性は大いにあり得る。
彼女の家に出入り禁止になるばかりか、学校でも問題になるかもしれない。

そんな深刻な状況に打ちひしがれながらも、なぜか僕は心がぽかぽかと温かくなるのを感じていた。


「バーカ」と舌足らずな声で言った彼女の恥ずかしげな顔と、淡いピンクに紅潮した頬の色が僕の脳裏に焼き付いていた。
その様子はたまらなく可愛く、一生忘れられない光景となる予感を秘めていた。それくらい破壊力があった。

控えめに言って、ハートを射抜かれてしまったのだ。


絶望的な状況の中でも、息絶えることのない名も知らぬ興奮…。
小学生の僕には、そんな怪物をどう扱っていいか分からなかったし、飼いならすすべさえ知らなかった。

彼女らが立ち去った夕暮れの片隅で、どこにも持っていきようのない想いだけが、深く重く僕の心の中でさまよい続けていた。



バキュームカー
吸引機とタンクを装着した自動車(トラック)であり、公式には吸上車と称される。
一般にバキュームカーという場合、屎尿運搬用の車両をさし、簡易水洗を含む汲み取り式便所や列車便所での糞尿、浄化槽に貯まった汚泥の回収を行う。汲み取り地域では、中継タンクがあり、最終処理は衛生センターで処理する。
-Wikipedia

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