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焼肉を食べに行ったという話

一般企業において、妊婦や時短の社員の評価ってどうしてるんだろうか?
人と給与の話はしない。ネットを調べると時短だと昇給制度から外されたり、短い時間の分他の人に皺寄せがいくからかいい評価はされてなかったりするよう。「時短なんだから人に迷惑かけてる、評価なんかされると思うほうがおかしい」とも書かれている(おそらく同じ境遇の女性が書いてる)

何かを改善したいとかそういうのはなくって、というか、立ち向かうものが大きすぎて、それを変えたり何かするくらいなら、自分が変わる方を選んだほうが、人生は短いので得策のように思う。
なので、もしかしたら「産休前」とか「時短」などで同じ状況の人がいたらなにかの参考になればと思う気持ちと、単純にどこかにアウトプットして供養したい気持ちでつらつらと書きます。

わたしの場合

2020年5月に産休に入り、2021年4月に復帰した。
産休に入る直前に昇給に関係する評価のタイミングだった。算定期間ギリギリまで働けた。理由は在宅をさせてもらえていたからで、コロナだからといって会社としては在宅をそこまで推奨していなくて、わたしが「妊婦だから」在宅をさせてもらえていた。
だったら評価もされたいし、ギリギリまでやりたい!そう思い里帰り出産のなか在宅でやらせてもらった。
でも結局評価は実施されなかった。
評価シートは提出したがフィードバックはなかった。

わたしの場合つわりがなかったので、妊婦期間中も出勤はしていた。妊婦健診は制度の中でやったし、体調が悪く通院する際は有給を使った。だから勤怠は悪くなかったし、コロナ禍で助成金関連のことが当時は役所も曖昧で、何が正解なのか?わからず社労士先生に毎日問い合わせして、どの書類が必要か?誰が助成金の対象になるのか?助成金額をどうやったら従業員給与に反映させられるのか?調べた。

体調のことは運が良かったまでだけど、その上で自分なりに頑張ったつもりだった。「妊婦」を理由に楽させてもらってると思われるのはいやだったし、がんばらないと元の部門には戻してもらえないという恐怖もあった。
だから給与があがらなくっても、それなりに仕事があって復帰後同じ部門に戻してもらえたのでよかったというべきなのか。
でも評価そのものは実施してほしかったなとは思う。わたしのあの(自分なりの)奮闘はなかったものになっていた、そう感じた。

時短は選択すべきでなかったのか

復帰は子どもが1歳になる前にした。それから約1年半、時短勤務をした。3歳までは権利として国が用意している制度。
はじめは現場の感覚を取り戻したくて、勤務地以外の他部門に足を運んだりしたが時間が限られすぎていて、寝かしつけのあとに4時間残業をしてヘロヘロ。頭がおかしくなりそうだったので少しセーブしつつ、でも数字で目標を持っていたのでなんとか達成に向けてがんばった。
未達だったので評価は良くなかった。
時間が短い中で評価を気にしながら働く、目標の設定の仕方に難しさを感じた。あくまでも評価される身として「時短なんでね、これくらいの目標ではどうでしょう?」とは言えないので、目標の達成度合いによって評価が変わるのだがそのバーを少し緩めにしてみたりした。

それを見抜かれていたのかもしれない。
評価シートとは全く違うところで、
「今のままではこれ以上評価できない」ということだった。

1年半なんだったのだろうか、と純粋に思った。それなら初めから言ってほしかったな、と思ったし、甘ったれだけど子育てしながら毎日ほぼ休まず出勤して退勤後も目標達成のために睡眠時間削ってやっていることをひっくるめて「よくがんばってる」くらいの言葉はほしかった。でもそれは普通だったのだ。わたしという会社員はそれでやっと基準に達していたのだった。

評価の難しさ

だから評価とは難しいなと感じる。
わたしも小さいチームを持っていたことがあり、評価する立場は経験済み。年間目標から月次の目標、そこから週次の目標に落とし込み。毎日そのすり合わせもした。だから評価の正当性を実現するのって時間も労力もかかる。

まず目標があって、それがその人が評価期間を終えた時に達成していたら昇給してあげられるように設定しなければならない。
でも易々と達成できる目標だと甘いし、目標のベクトルが違えば、いくら達成しても昇給はさせられない。
わたしのように3年くらい在籍して目標が未達なら、異動もさせなければならなくなる。
なんだかM-1、みたいな、10年やって一定の結果がでないならお笑い自体をやめるべしというメッセージがあの大会にはあると聞く。
評価とはそうやってドラスティックに判定がなされ、組織の適材適所の配置を行うための大切なファクターである。

向かうは明るい未来

じゃぁ異動先がわたしの適所なのか?それもまたわからず、とりあえず3ヶ月ではあまり向いてなさそう(!)
これでフルタイムになったら、もっと求められるものが上がると仮定したら、もうそもそも働くこと自体が向いていないのでは?と思うレベル。

あまりにやさぐれすぎてて、家族へのあたりがキツくなってきているので、緩和のために本日焼肉を食べに3年ぶりくらいの家族の外食にいきました。お肉が美味しくて「月に一回くらい食べに来たいね」と合意したので、
まだ働くのはやめられないwww

なんとなくこの3年間過ごしてきて、
とにかく「評価されたい」というより「向いてる、と認めてもらえる環境で働きたい」というのが、ワーママの本音ではないかなと思う。
ただでさえ「時短」などで同僚に迷惑かけてるのでは?と後ろめたいなかで半年に一度「未達だよ」「目標がそもそもなんか違う」「基準が甘いのでは」とか「ダメ」の烙印を押され続けるとなかなか心穏やかではない。せめても「今は時間の制約があるけど、その中で赤点ではないよ」「出勤の範囲で最大限やれてると思うよ」そういう温かい何かを受け取り続けられれば、未来を見ながら頑張れる。

わたしの場合は「働くのが大好き」なわたしから「働くのが大好きだった」わたしになったわけですが、
自己肯定感をあげるために働いているところがあったけど、もうそういう気持ちは薄れつつあってなんとか生きるために働いている。
けどやっぱわびしさも感じる。
最近は前職の思い出がフラッシュバックして、受注が決まったらみんなで拍手して握手して、年次や働き方関係なく「やったことに対する賞賛」がある環境は自己肯定感爆上がりだった。

欲張りだと言われるかもしれないけど、命削って子ども産んでもう一つの命育ててるんだから、少しぐらい欲張らせてくれよ。こっちだって好きで女に生まれたわけじゃないよ。

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