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建物の話


何年か前から建設業で働いている。建物に興味なんてなかったあの私が。


というか建物という存在に気づいていなかったというほうが正しいと思う。建物は、自分の夢を叶える手段でしかなかった。就活の時は「建物じゃなきゃ、建設業界じゃなきゃこの夢は叶えられないんです」というくらいの勢いで話していたけれど、本当の意味では何も分かっていない。よく受かったなと思う。

日々使っているマンション、駅、大学、商業施設、オフィス、何もかもが建物だ。都市で育った私には、そういう当たり前のことが当たり前すぎて、目の前にあるのに一切見えていなかった。この写真の景色も、私にとっては天気の良い川でしかなくて、無数の建築物があることに気付いてすらいない。

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今でも社員として就活生の話を聞いていると、いつも不思議な気分になってしまう。いつ建物という存在に気づいたのか。建物の何がそんなに魅力的なのか。建物に関する仕事を毎日しているはずの私のほうが、彼ら彼女らに聞きたくなってしまうのだ。


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入社前の私にとって、建設現場はなんだか見てはいけないもの。ゴミ箱みたいな。汚くてうるさくて、社会の裏側。


そうじゃない。街の景色を作る場所。人の生活を作る場所。

現場で奮闘する先輩たちが検査前の窓枠を撫でた手、飲み会帰りに通りがかった建物の壁を撫でたあの手を覚えてる。酔っぱらいながら建物の壁を眺める集団なんて怪しすぎる。狂ってる。その姿が面白くて真剣で、愛おしそうにする目を見てしまった。好きなんだ。建物が。

今では通りがかりの建物を見てしまう。「どこをどう見たら良いのか分からん」と言っていたあの私が。

向かいのオフィスビルを映すガラス、夕日に照らされる壁、むき出しの鉄骨や耐火被覆、どうやって作ったのか見当もつかないヘンテコな形のビル。


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「世界に一つしかないモノづくり」とはこのことか。


今の私もきっと、本当の意味では何も分かっていない。

それなのにもう。さっさと辞めてやろうと考えていた一年目の気持ちはどこかへ行って、ずっと建物と関わりたいと思っている。


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建設沼の深さたるや。



新たな文章と出会う旅の餞別となり、私の感情がまた文章となり生まれます。 いつもありがとう。