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奢り奢られ


お金を払うことは私の権利を守ることだった。


「だった」というのは、お金を払わなくても私の権利が侵害される訳ではない、と気づいたからだ。

「男女の食事では男が奢るべきだ」とか「女は財布を出すフリだけでもしろ」とか、そういう奢る奢らない論争は割と皆の好きな話題だと思う。


私は断然、対等な相手なら割り勘か自分が多く出したい派だ。(先輩には甘えても良いということにはしている)



入社して間もない頃、会社の同期と飲み会に行った。その日は私が大学時代にアルバイトをしていた居酒屋で飲んだので、私は飲み会中にトイレへ行く振りをしてこっそりコンビニで差入れを買って裏でスタッフに渡した。見られたくなかったのは、同期に気を使ったのもあったけど、社会人になっても良くしてくれる店長に私からの感謝の気持ちを示したかったから。

ところが私のその行動を見ていた一人の男の子が、私の真似をして別の差入れを買ってきた。しかも私が買っていったものよりも良いやつを!しかもしかも、その子はこっそり皆の飲み代の会計を知らぬ間に済ませてしまっていた。

ただ偶然、彼がお会計をしている場面を見つけたので「皆で割り勘しよう」と駆け寄った。「いいから」という彼と、酔っぱらっていたこともあって言い合ううちに何故か彼にビンタされた。意味がわからなかった。「お前は黙っとけ」と言われた気分で衝撃が大きすぎて笑うしかなかった。

もう少しきちんと事情を説明すると、同期6人の中で彼は一番年下だったし唯一の地域職だったので、私たちよりも少し給料が少ないはずだった。大卒総合職で入社した同期たちとは対等な関係だと思っていたのに、何なら彼は私達よりも給料は少ないはずなのに、女だからってお金を出させてくれなかった。そのことが衝撃的であまりにも悲しくて、悲観的で鬱々と考えこむ癖のある私は家に帰ってからしくしく泣いた。





小さいとき、父に言われた言葉がある。外食するとき、子供はジュース1杯までなのにどうして大人は何杯もお酒を飲んで良いのか聞いた時だったと思う。


「お前、俺と対等な立場だと思ってるのか?」


頭ごなしに怒鳴って言われた訳じゃない。父は少し笑っていて、私は素直に「うん」と答えた。

それから私は「お金を出している人が偉いんだ」とぼんやり認識するようになった。私は父に養ってもらっているので立場は下だし、なんなら立場はないのかもしれないと思った。自分で稼いだお金で自分の生活を送りたいと思うようになったのも私の中では自然な流れだった。人生の夏休み真っただ中の大学生活を送りながらも「早く社会人になりたい」「早く家を出たい」と言う私は、親や友達から不思議な目で見られることのほうが多かったかもしれない。



社会人になって一人暮らしを始めて、自分だけで家計が完結することに感動していた。その矢先に、自分と対等だと思っていた人から示された態度はかなりショックだった。


高校生の時に付き合った彼氏は「いつも割り勘でごめんね」と言った。お互いバイトもしてなかったのに。同い年で同じような境遇なのに、彼が申し訳なく思う気持ちは刷り込まれた常識からくるものというのは分かっていた。だからこそ社会常識の存在の大きさが辛かった。一方で「奢られたい」「大切にされたい」「女の子扱いされたい」とたまに思ってしまう自分もいて、それは自分が心から望んでいることなのか、周りの考えに流されているのか分からないときもよくあったけど、やっぱり男がお金を払ってくれる方が普通だし、物事がうまく回るんだろうとぼんやり思っていたかもしれない。


大学生になって「奢らない奴は駄目だ」「奢られない女はその程度の価値なんだ」とか、よくある奢り奢られ論争をしっかり通って社会人になった。「お前は守りたいと思えない」と言われて立派にショックも受けた。


それでも、〈可愛く奢られる方が得なのかもしれない〉と悶々と悩みながらも、やっぱり自分の感じる違和感は違和感のままだった。やっぱりおかしい。同じような歳で同じような収入で、私はやっぱり対等でいたいのだ。親には認めてもらえなかったような「対等な立場」を、私は20年近く渇望してきた。


私の大学生活もほとんど終わる頃、2個下の彼氏と付き合い始めた。彼はいつも私のことを尊重してくれたし、いつもデートも飲み代も割り勘だった。私が社会人になってからは、私のほうが多く出すことがむしろ多い。彼氏はまだ大学生で、私が好きでこうしている。彼はいつも申し訳なさそうだけど、たまにお金に余裕があるときは大きなプレゼントをくれるし、いつもとびきり優しく接してくれる。

彼と付き合ってお金を多く出す側になって分かったことがある。お金を払ってなくても立場はきちんと保証されてしかるべきだ。立場や権利は必ずしも払ったお金に左右されるものではない。お金以外のものでも、気持ちを渡し合えるんだ、と。

目先の数千円を多く出してもらったから相手が偉いなんてことはちっともない。色んな要素が人間関係を構成しているのに、私は結局一番わかりやすい指標だけを見ていたのかもしれない。

これからも私はなるべく割り勘か多く出したいと思うけど、相手に合わせて何かで返したりして、人間関係のバランスを取っていこう。




そう思い始めた矢先に、件の6人で飲むことになった。

また奢らせてくれなくても意地を張るのはやめようと思っていたのに、目の前で彼が自分一人で払おうとするのを見たらやっぱり止めに入ってしまった。すると彼が言ったのだ。

「本当に要らん。親の金だから。」



彼とは、一生分かり合えそうもない。


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