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13歳のフィリピン留学 #3

いよいよ出発です


滞在

1日目

1月13日(土)
関西空港14時15分出発 by Air asia
Ninoy Aquino International Airport 17時50分 到着予定

思ったよりチェックインがダダ混みで
結構並びました…
オンラインチェックインしたところで
結局荷物を預けるのに並ぶから一緒だよね…
無事にチェックインして

まずは、円をペソにエクスチェンジ
その時のレートは@3.1
外貨を手にすることが初めての息子に
留学だとわかってか
窓口のお姉さん「頑張ってね」と優しく声をかえてくださいました

そして出国手続きへ
久々の海外旅行ということもあり
出国の手続きの簡素化に驚きました

全部機械で超簡単!
日本人は並ぶことなくスムーズに出国できるのですね
パスポートを指定の場所にセッティングし
カメラに向かって顔認証
左の扉が空いたら、次のステップへ

手荷物検査も無事に済み
ゲートへと進みます

ゲート前には
フィリピンの人が圧倒的に多かった
日本人は数えるくらい
この状況から日本の円の価値の状態を薄々感じ始めていました…

エアアジアは狭かった
でもフィリピンまでのフライト時間が行きは4時間半なので
まぁ我慢できる時間ですね
チケットはセットプランで購入したので
軽食とお水もついていました
美味しかったです

無事にフィリピンに到着
到着ゲートにはYさんが事前に手配してくれていた
タクシーのお兄さんが
私の名前を書いた紙を持って待っていてくださいました

宿泊先のマカティホテルまで送迎してくれます
お値段1400ペソ
日本円で約4000円
ちょっと高い??

ニノイ空港でもエクスチェンジしておこうと
こちらのレートは
@3.7
??こっちの方が高い??

さてさて
息子ちゃんの様子は
キョロキョロです
タクシーの窓から見える都会の様子を見て
想像していたフィリピンとは異なるよう
高いビルが立ち並び
発展途上国に部類されるけど
ここだけ見ていたら先進国そのものです

マカティホテルに到着
こちらのホテルではデポジットが必要でした
チェックアウトの時にはちゃんと返金してくれましたよ
パスポートも見せました

ホテルはとても綺麗でした
屋上にはプールとバーも
でも欧米人とチャイニーズでいっぱいで

わたしたちはローカルフードを求めて
ホテル近辺を散策することに

思ったよりも治安が良くなくて
大きな音楽があちこちで流れていて
タトゥーの入ったタンクトップ姿のお兄さんたちに
息子は恐怖だったようで私の腕をがっしり掴んでいました

グーグルマップで検索しながら
美味しいレストランを探し求める主人に
もうどこでもいいと思う私
ウロウロしすぎるのもどうかと
早くに決めたくて…
結局おばちゃんが元気にやっている
店の前にもそこそこ現地の人がいる
そんな食べ物屋さんに入ります

メニューはタガログ語!
わからん!
なのでおばちゃんにおススメを聞いて
適当に作ってもらいました
それがね
美味しかった
これで確か200円くらい
少なかったけど満足です

水はウォーターサーバーでのセルフサービス
ジュースが飲みたいという息子に
適当にそっから取りな!というおばちゃんの指し示す方向には
でっかいクーラーボックス
一番体に悪そうな色のジュースをチョイスしました

そんなこんなで初日は終了
二つしかないベッド
私は息子と一緒に寝ました
蹴られるわ、くっつかれるわ
ここから私の睡眠不足が始まります…

2日目

朝の10時に観光ガイドのジャンさんと待ち合わせ

チェックアウトは主人と息子に任せようと
フロントに向かうも敢え無く断念
全く英語が通じなかったのね…
スタッフの方も苦笑い
忙しいのにごめんなさい

無事にチェックアウトを済ませて
いよいよ観光へ出発!

観光場所は予めジャンさんが決めてくださっていました
・マラテ教会
・リサール公園
・サンチャゴ要塞
・米軍記念基地など…

リサール公園
サンチャゴ要塞


現地はちょうど乾季で
とても過ごしやすかったです
Tシャツ一枚で汗もかかないほどの快適さ
露店で売っていた青色のマンゴーは
ものすごく硬くて酸っぱい
これは塩につけて食べる酒のアテだそう
息子の口には合いませんでした…

ある場所で、川に浮かぶボートがありました
そこに、一人の少年が乗っています
何をするでもなく、ぼーっと
息子はその姿を疑問に思い、ジャンさんに尋ねました
「彼は何をしているのか」
ジャンさんは答えます
「流れてくるペットボトルを拾うね、それ洗って売るね、今日のご飯のお金ね」
息子はどう感じたのでしょう
ボートの少年をしばらくじっと見つめていました

主人がジャンさんに行きたいところがある、と言いました
いつかNHKで見たフィリピンの闇であるスモーキーマウンテンに行きたいと
そこは別名ゴミ山と呼ばれる場所です
先程の少年のように、捨てられたごみの中から
洗って再度売って収入を得ます
中に入るためには事前に許可がいるということで
今回はその中まで入ることはできませんでしたが
村まで連れて行ってもらいました

車から降りると
鼻を突く臭いが充満しています
足元には今にも死にそうなネコや犬
やせ細ったこどもたちがそこらじゅうにいます
砂埃の舞う道路の脇でたくさんの露店が出ていました
何を売っているのか
見てもわかりません
ふと上を見上げると、電線が物凄い量となって絡まっています

だけど
そこに住んでいる人たちは
笑顔でした
毎日食べるために生きている
生きることに一生懸命です
自分たちの存在や状況を不憫だと思っていないように感じました

車に戻った私たちは
しばらく言葉を発することが出来ませんでした

わたしたちはそのあと
フィリピンの「頂上」に行きました
カジノです
大きくて煌びやかな建物
外には噴水広場があり、その日は噴水ショーが行われました
先程のスモーキーマウンテンで見た光景からのあまりにも大きな違いに
息子は同じ国だとは思えないと少々ショックを受けていたようです

そういう意味でもジャンさんの観光ガイドはとても勉強になりました
ジャンさんの言葉は今も心に残っています
「貧乏は貧乏の心、頭なのね、それはずっと続くね、貧乏の人のこどもも貧乏ね、でも自分でがんばることできるね、そこから抜け出す人もいるね、でも金持ちはずっと金持ち、心も金持ち、頭も金持ちだから、こどもも金持ちね」
日本の格差はこんなにもはっきりと目に見えません
ジャンさんのように正々堂々となぜ金持ちがいて貧乏がいるのか
ということを口にだすことも憚られる国です
さらに日本は働かなくても生活保護というシステムによって最低限生きることができるよう保障されています(と認識しています…)
一方、フィリピンでは働いたら働いた分、国が保障します
家が無いひとには、公園を明け渡して仕事を与えています
生きるために働く、という当たり前のことがこの国は政策として存在しています
そして、必ずチャンスがある
ジャンさんも実はその層の一人でした
彼はその環境から脱却したかった
自分のこどもに同じ思いをさせたくなかった
だから彼は英語と日本語を勉強したそうです
そして今、こうしてガイドとして生計を立てることができています

もちろん私が見た部分はほんの一部でしょう
ジャンさんの言っていることがすべてではないでしょう
だけど私が見たみんなは笑顔なんです
毎日を一生懸命生きているんです
そのことに私は心を打たれたのです

私はスモーキーマウンテンで暮らすこどもたちの笑顔を見て感じました
日本はいつから「生きる」ことをやめたのだろう…と

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