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【短編】夜景とチョコレート  #シロクマ文芸部

 チョコレートを手に取り、ベッドの上で愛する男性に渡している日向ひなたがいた。全てをその手中に納め、タワーマンションの四十六階の一室で満足そうに微笑んでいる。

「ねぇ、誠治さん。これからは私たちの時代ね。あなたの不動産と私のデザインしたドレスでもっともっと輝く人生にしていきましょう。これはあなたの為だけに選んできたチョコレートよ。どうぞ、召し上がれ。でもね、その前に一つだけお願いがあるの」

「このチョコ、いろんな種類があるんだな。ん、ほとんどビターのチョコベースなんだね。僕が甘ったるいチョコ嫌いだってこと知ってるから気を使ってくれたんだ。サンキュー。で、なんだい、日向。お願いって。それを聞いてからチョコを食べることにしようかな。一粒の代償が高そうな予感するから」

「そんな。私だって女の子なんですからね。あのね。このベッド、買い替えて欲しいんだけど、ダメかな〜。だって、お芝居だったとしてもここで真美と寝たんでしょ、誠治さん」

「ああ、そんなことを気にしていたのか、日向は。オーケー、分かったよ。明日にでも新しいベッドを見に行こう」

「やったー、ありがとう。これでスッキリするわ。私ワイン取ってくるね」

 二人が横になっているベッドからは、見上げる形になるので窓越しに夜空の星が見える。遮るものは何もない。都会の夜空にも綺麗な星があるんだなと日向はいつも見上げていた。気持ちもスッキリとした日向はガウンを纏ってワインを取りに寝室を出て、ワインセラーの扉を開ける前にリビングの窓際に近寄った。リビングの窓から見える夜景は、ベッドから見る星空とは違い、都会の街灯りが美しい。まるで宝石を散りばめているように美しい。そして、その宝石たちは全てが自分たちのもののようにも錯覚してしまう。うっとりとして気持ちよく夜景を見ていると寝室から誠治の喘ぐような声が聞こえた。

「うぐっ、ひ、な、た。お前、、、まさか、グアッ」

 日向はすっかり夜景に見惚れていて、寝室からの声はよく聞こえなかった。チョコを一気に食べてしまったんだろうぐらいにしか思わなかったのである。

「誠治さん、どうしたの。慌ててチョコを喉に詰まらせたりしないでよね。チョコの中にはブランデーも入れたのよ。美味しいでしょ。もう少し、街の夜景を見たらワインを持って行くわね。私、ここからの景色が大好きなのよ。もう少し見させてね」

 ひとしきり、街の夜景を堪能し、ワインを取りにリビングの端っこまで歩いて行った。ワインセラーの扉を開けながら、寝室の扉の向こうの誠治に日向は声をかけた。そのままワインとワイングラスを二つ持って、寝室に戻ろうとしていたが、誠治からの返事がない。日向はおどかそうとしているに違いないと思い、忍び込むようにゆっくりと寝室のドアを開けた。目に飛び込んできたのは、ベッドにうずくまっている誠治の姿だった。箱の中に綺麗に収まっていたはずのチョコレートがベッドの上に散乱している。誠治の顔は反対側を向いていて、日向からは確認できない。日向は、思わず声をかけた。

「もう、せっかく作ったチョコをこんなにしちゃって。そんなに怖がらせないでよ。楽しい時間なのに、もう〜。ワイン持ってきたよ。一緒に飲もう」

 だが、肝心の誠治はピクリともしない。それどころか息遣いも感じられない。日向はまさかと思い慌てて駆け寄っていった。向こう側を向いていた誠治の顔を覗き込んで思わずワイングラスを床に落としてしまった。そこには、目をカッと見開いたまま口からは泡のようなものを吐いて息絶えて変わり果てた誠治の顔があった。日向は何が起こったのか想像もできずパニックになった。頬を触るとすでに冷たくなっている。

「誠治さん、誠治さん、どうしたの。ねぇ、起きて、起きてよー」

 泣きながら声をかける日向だったが、その願いは聞き入れられることはなかった。かなり長い間、どうすればいいのかわからず呆然と泣いていたが、やっと気づいたかのようにスマホを手にした。もうすでに部屋に入ってから一時間以上は経っていた。日向は空っぽになった頭のまま、電話をかけた。

「はい、こちらは119番です。どうされましたか」

「あのー、ベッドの上で息をしてません」

「もしもし、落ち着いてください。まずお名前と場所を教えてください」

「えっ、あのー、小早川です。あ、違います、家持です。えっと、マンションです。四十六階の」

 電話での誘導になんとかやりとりをして少しずつ自分を取り戻してきた日向だった。自分がガウン姿だということに気づいて慌てて普段着に着替えた。簡単に化粧をしたところに、ちょうどインターフォンがなった。慌ててインターフォンの画面を覗き込む。救急隊員のようだ。

「はい」

「救急隊のものです。お電話された方ですか」

 日向は、焦りながらもなんとか落ち着かなければと思いながら、オートロックのドアを開けたあと、玄関のロックも外して玄関ドアを開けたままにして救急隊員が到着するのを待っていた。エレベーターのドアが開く音がした後、ガチャガチャという音と共に隊員たちがやってきた。音を立てていたのは倒れた人を運ぶためのストレッチャーのタイヤの音だったようだ。半分だけ顔をだしている日向に気づいた救急隊員が駆け寄ってきた。

「失礼します。倒れられた方は中でしょうか」

「え、ええ。寝室です。入って左側の部屋です」

「失礼します」

 救急隊員が二人で部屋の中に入っていった。寝室に入ると隊員同士は小さな声で会話していた。

「この方はすでに亡くなっているな。チアノーゼも見られるし死後硬直が始まりかけているぞ。かなり時間が経ってから電話をかけられたようだ」

「そうだな。すぐに警察に連携しよう」

 日向は隊員たちが話していることが声が小さいということもあり、理解できなかった。それよりも平然としていなければダメだと自分自身に言い聞かせて対応していたこともあり、余計な情報は体が拒否していたのかもしれない。隊員が説明と質問のために日向に近寄ってきた。

「お電話されたのは、あなたですよね。この男性の状態を確認されたのは何時ごろだったのでしょうか」

「えっと、私が彼を訪ねてきた時なので三十分くらい前だと思います」

 実にまずい状況だということだけを理解した日向は、咄嗟に嘘をついた。しどろもどろになりそうな自分を必死で抑えながら、言葉少なに答えているようだった。そこへ、連絡を受けた警察が到着した。家持がベッドで死んでいるのを確認すると日向の方にやってきた。

「失礼します。品川警察署の渡口わたりぐちと木下です。すみませんが、鑑識メンバーと共にお邪魔します。えっとあなたのお名前をお伺いしてもよろしいですか」

「はい、小早川日向です。亡くなっているのは、私の婚約者です」

「そうですか。ご愁傷様です。えっと、最近、どこかでお見かけしたような気がしますが、もしかしてテレビか何かに出られてましたか」

「え、ええ。彼と二人でデザイナー関連の特番に出たことがあります。多分、それだと思います」

「あー、そうだ。私の妻がとても興奮して番組を見ていましたよ。あなた方のアイデアは素晴らしいと絶賛していました。ということは亡くなられているのは、その時に一緒に出演されていた方ですか」

「はい」

 その時、家持誠治の死因を調査し始めていた鑑識と木下刑事が何やら寝室で話をしていた。そして、急ぎ渡口刑事に死因を知らせるために寝室から飛び出してきた。

「渡口さん、どうやら毒殺のようです。現場の状況から判断すると自殺ではないようです。ベッドの上で食べていたチョコレートを投げ出したような状態になっています。おそらく青酸カリのような毒がチョコの中に仕込まれていたと思われます」

 耳元で報告を受けた渡口は、日向の方を向き、確認するように質問を始めた。

「亡くなられた家持さんが口にされていたチョコレートは小早川さんが持ってこられたのですか」

「はい。私が昨夜自宅で手作りしました。それを箱に詰めて持ってきて渡したんです。それが何か」

「なるほど。おそらくチョコレートの中に毒が入っていたようなんですよ。それと、あなたは救急隊員に三十分ほど前にこの部屋に来たと言ってましたね。ということはどんなに早くてもチョコを渡したのは三十分以内ということになるのですが、おかしいんですよね」

「え、何がおかしいんですか。それに、私毒なんて入れてませんよ」

「ふーむ。でもね小早川さん。家持さんの体はすでに死後硬直が始まっているようなんですよ。ということはすでに亡くなってから少なくとも二時間以上は経過していることになるんですよね。あなたがチョコレートを渡してその中に入っていた毒で亡くなったのなら、あなたは二時間以上前からこの部屋にいて、チョコレートを渡したということになるので小早川さんが言われたこの部屋に来た時間を考えると矛盾してるんですよね。まぁ、これから家持さんの司法解剖で死因と正確な死亡時刻は判明すると思います。小早川さんは、ご足労ですが、我々と共に署までご同行していただけますか。もう少し詳しい事情をお伺いしたいので。すでに、小早川さんは重要参考人という立場になってしまいましたよ」

「そ、そんな。私は何もしていないし、悪いことはしてません」

「そうですか。では、とりあえず我々の車に一緒に乗りましょう。署に行く前に小早川さんの自宅を確認させていただきたいのですが、構いませんか」

「私の部屋ですか。別に構いませんけれど。ここからは車で十分ちょっとくらいの場所ですから」

 渡口刑事は、日向が嘘をついているということを確信していた。ただ、実際の犯人が日向かどうかはまだ判断できずにいた。対応の仕方を見る限り、犯人では無いような気がしていたのだ。ところが、日向の部屋に入り動かぬ証拠が出てきてしまったのだ。

 日向の部屋に到着した刑事たちは、日向がチョコを作ったというキッチンを操作していた。使いきれなかった板チョコが無造作にダイニングテーブルに放置されている。チョコを流し込んだ型もシンクの中にあった。確かに、手作りのチョコを作っていたようだ。しかし、それだけではなかった。シンク下の開きの扉を開けて確認していた木下刑事が何かを見つけたのだ。

「渡口刑事、こんなものが出てきました。鑑識に回します」

「小早川さん、この注射器と小瓶はあなたのものですか。シンク下で見つけたようですが」

「えっ、なんですか、それ。見たこともありません。私のじゃ無いです」

「ほう、でもこの部屋は鍵がかかっていましたよね。あなたが鍵を開けて我々は一緒に入りましたよ。誰かが忍び込んで置いたという説明では無理がありますね。では、署まで一緒にいきましょう。長い夜になりそうですよ」

 状況証拠が揃っていたため、日向がどんなに弁明しても聞き入れられることは無かった。数日経って、ニュースでは大きく取り上げられ報道されていた。

『先日、品川のタワーマンションの最上階の部屋で、不動産投資家の家持誠治さんが亡くなられました。その死因に不審な点があり、警察が捜査した結果、婚約者の小早川日向、三十一歳を逮捕しました。現在、動機などについての追求が行われているようです』

 結婚の発表した後の殺人ということで、ワイドショーなどでも『チョコレート殺人事件』として多く取り上げられ、しばらくの間は特番が続き、お茶の間で話題となっていった。しかし、渡口刑事は、どうにも腑に落ちないでいたのだ。確かに状況証拠は揃ってはいるのだが、肝心の日向自身の自供が得られない。周りを固められているにも関わらず、動機が見えてこない。渡口刑事は、なんとなくエーケーデザインの社長の座に日向が着いた頃の騒動に何かの鍵があるのでは無いかと一人で考えていた。

「どう考えても、腑に落ちないな。彼氏の部屋に実は一緒にいたにもかかわず、着替えをしてまで少し前に来たという嘘の言い訳をしていたのは、世間体を気にしたからでは無かったのだろうか。確かに結婚することをテレビで宣言はしたもののまだ式は挙げていない。それに社長就任からそれほど時間が経っていないため、余計なスキャンダルは避けたいと無意識に考えたとしたら、ありうる行動だったのかもしれないな。自宅で青酸カリの入った小瓶が見つかっても対して驚かなかったし、もしかすると真犯人がいるのかもしれない。ただ、全く証拠はないな。長年の刑事の勘だけだけどな」

 そんな時、ワイドショーを食い入るように見ている一人の女性がいた。青木真美だ。日向に失脚させられ全てを失った元エーケーデザイン社長の真美だった。真美はテレビを見ながら、嬉しそうに缶ビールを片手に笑っていた。

「ついに罰が下りたようね。私にあんな酷い仕打ちをした罰がね。ふふ、因果応報なのよ、日向。そして、誠治さんもね」


下記企画への応募作品です。今週は、先週の続きという内容にしてみました。

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