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【小説】真夜中の公園にて

【月を拾う旅シリーズ:No.1】

 彼女と仲良くなったのは、小学校一年生の教室で、私の前の席に座っていたからだ。
 特に何か起こったわけではなく、彼女は社交的であった、ただそれだけ。

 幼い私は引っ込み思案で、自分から誰かに声をかけるということができなかったので、友人と呼べるのは彼女だけだった。
 対して、人気者の彼女にとって私は「たくさんいる友人の中の一人」であることが、寂しかった。

 やがて中学生になると、お互いに違うグループに属するようになり、高校生の頃には、ほとんど顔を合わせることもなくなっていた。
 それでも彼女への淡い想いは常に心の片隅にあり、多分もうこれは一生このままなんだな、と受け入れていた。


 そして今、真夜中の公園で、私たちは再会したのである。


 暗闇の中、冷たく差す街灯の光の、少し外れたところに彼女は立っていた。手には、真っ黒な「何か」を持っているように見える。

 私が黙ってじっと見つめているのに気づいたようで、

「のんちゃん、どうして夜なのに日傘なんてさしてるの」

 と柔らかい声で問いかけられた。

 私はまず、ここにいるのが「私」であるとすぐに分かってもらえたことに感激した。

「月の光が眩しくて」

 もちろんそんな理由ではないのだが、説明するのが嫌で、そう答えた。
 彼女は納得したのかしていないのか、「ふぅん?」と言ったきり、静かになってしまった。

 私はその手にあるものがどうしても気になって、歩み寄っていく。砂を踏みしめる音が、やけに耳についた。

「ねえ、それ、なあに?」
「何だと思う?」

 分からない。近くで見ても、「真っ黒い何か」でしかない。

「真っ黒い……何か」

 だからそのまま答えた。

「ふふっ、そのまんまだね」

 笑った彼女の口に、私の大好きな八重歯を見つけて、ホッとしたような気持ちになった。
 久しぶりに会ったので、緊張していたのかもしれない。

「いい? ちょっと見ててね」

 そう言うと、彼女は手の中のものをポイッと頭上に放り投げた。
 すると「真っ黒い何か」は四方八方に飛散してしまった。

「えっ! いいの? バラバラになっちゃったよ」
「何が?」

「しーちゃんが集めてたんじゃないの?」
「また全部拾えばいいんだよ」

 そういうものなのか。

「のんちゃん、手伝ってよ」
「ええ……じゃあ何で投げちゃったの」
「やってみると結構楽しいよ」

 仕方なく、私は拾い集めるのを手伝うことにした。「真っ黒い何か」は、触ると柔らかいようなザラザラしているような。持ち上げると、思っていたよりも重いような軽いような。本当に何なんだろうこれは。

 片手で持てるだけ拾って、彼女に手渡した。

「これ、どうするの?」
「どうもしないよ。いらないから砂場に埋めておく」

「そしたらどうなるの?」
「さあ? 知らなーい」

 結局、何もかも分からないまま、私たちは日が昇る前に解散した。


***


 それから何日か経って、私は真夜中の公園に向かった。
 果たして彼女はそこにいた。

「今日も集めてるの?」
「何を?」

「あの……真っ黒い何か」
「……ああ、あれか。あれはね、もう飽きた」

 彼女らしい、と私は思った。昔から飽きっぽい性格だった。

「ちょうどよかった。今ね、鍵持ってるんだよね」
「カギ? 何の鍵?」
「そこの」

 彼女が指差したのは、ジャングルジムだ。
 そして一番下の段の、入口のような形の空間にまるで扉があるかのように、鍵を開ける動作をしてみせた。
 ぽっかりと闇が浮かび上がる。覗き込むと遠くに光が見えた。

「行こう」
「うん」

 先に入っていった彼女を追いかけようとして、日傘はどうしよう、と思い至る。
 少し考えて、たたんで入口のそばに立てかけた。

「あの傘、何でさしてるの?」
「……月に見つからないようにね。ほら、私可愛いから。連れ去られちゃうでしょ」

 冗談めかすと、私からそれ以上聞き出せないと悟ったのか、「そりゃ大変だ」と彼女は言った。内緒事があるのはお互い様だ。

 暗闇を光に向かって歩いていたが、割とすぐに視界は開けた。
 目に飛び込んできたのは、色とりどりの提灯。石畳の道の両側を頭上から照らしている。
 ここも夜なのだろうか。

「こういうの、中華風?ってやつかな」

 確かに、赤い柱に緑色の瓦屋根が美しい街並みだ。
 正面に一際大きな建物が見える。
 門のような入口から進むと、吹き抜けの広場に出た。回廊がずっと上の方まで続いていて、あちこちに階段がある。

 私たちは近くの幅広い階段を昇っていく。適当に進んだり昇ったりしていると、明るい広間に辿り着いた。

「ようこそ、ようこそ」

 可愛らしい声が聞こえたので目を凝らすと、上座らしき場所に、握りこぶし二つ程の大きさのネズミがいた。

「わあ、カワイイ」

 思わず口に出してしまったが、ネズミは気にしていない様子で「おいで、おいで」と呼びかけてくる。
 二人で顔を見合わせて、近寄ってみることにする。

「君たちは、我に何を捧げる?」

 可愛い顔と声でそんなことを言われ、再び顔を見合わせる私たち。

「捧げないと何されるんだろ?」

 彼女が不安そうに囁く。
 その時、私はハッと思い出した。そうだ、あれがある。

 着ているカーディガンの右ポケットから取り出したのはミカン。
 二人で食べようと思って持ってきていたのだ。

「おーっ、のんちゃんナイス!」
「えへへ」

 ミカンをネズミに恭しく差し出す。

「どうぞ、お納めください」

 ネズミはフンフン、と匂いを嗅ぐと、小さな両手で受け取ってくれた。

「ゆっくりしてってね」
「ありがとうございます」

 私たちはネズミに手を振り、部屋を後にした。

「……帰ろっか。うち、何にも持ってないし。長くいると多分、よくないね」
「私もそう思う」

 何とか下まで降りて、来た道を戻る。

「でも、ちょっと楽しかったな」

 ポツリと言ってみる。子供の頃を思い出していた。彼女とよく遊んでいた頃。

「ね。冒険しちゃったね」

 その笑顔に、心がめちゃくちゃに跳ねる。
 照れくささをごまかすように、左ポケットに残っていたミカンを、彼女のパーカーのフードに突っ込んだ。


***


 また何日かして、真夜中の公園に赴くと、彼女はベンチに座ってぼんやりと空を見ていた。

「来たよ」

 声をかけると、パッと明るい表情でこちらを向く。

「シーソーやろうよ。一人じゃできない」
「いいよ。……でも、あの音、怖いんだよなぁ」

「そーっとやろう。ふわっと」
「そんなことできる?」

 シーソーに乗るのなんて、いつ以来だろう。
 日傘はさしたまま、片手で手すりを掴む。

「いくよー。そーっとね、そーっと」

 彼女が地面を蹴る。
 私は音をたてないように、神経を集中させた。
 結構体力を使うなぁ。

 何回かお互いに浮いたり沈んだりを繰り返して、気づいた時には、私たちはシーソーに乗ったまま宙にいた。

「どこまで行けるかな。このまま宇宙まで行っちゃう?」
「それは困る」

 本当に困る。あまり月に近づきたくはない。

「じゃあ、ぐるっと公園の上、ドライブしよう」
「いいね」

 ゆっくり、ゆっくりと進む。頬に当たる風は冷たくはないが、優しくもない。
 ここに彼女がいなければ、真夜中のしらっとした空気には、心細くさせられるだけだっただろう。

「夢みたいだ」

 うっとりと、静かに瞬く星空を眺める。

「夢だよ。これは」

 そうか、夢か。そうかもしれない。

「いい夢だね、とても」
「嬉しいな、のんちゃんの夢の中にいられて」

「本当にそう思ってる?」
「思ってるよ」

 私は泣きたい気持ちになったが、涙は出なかった。


***


「てんとう虫の上で、ピクニックしよう」

 その日は、私から彼女に提案した。

「ピクニック? 食べ物とかあるの?」

 ブランコで揺れていた彼女がやって来る。

「うん。大したものじゃないけど」

 持ってきた袋を掲げる。

 私たちはドーム型の遊具によじ登った。
 中は空洞で、水玉模様に穴があいているため、てんとう虫と呼ばれていた。

「お茶とオレンジ、どっちがいい?」
「オレンジ」
「ん」

 オレンジジュースを手渡す。
 飲み物の好みなんて覚えていなかったが、多分こっちだろうと予想していたのが当たって、ちょっと嬉しい。

「あとはね、これ。酒まんじゅう」
「酒まんじゅう?」

 彼女が袋の中を覗く。

「しかもいっぱいあるじゃん」
「いっぱいあったから」

「うち、好きだよ。美味しいよね」
「ね」

 もそもそと、二人でまんじゅうを頬張る。

「甘い。美味しい」
「よかった」

 お茶で喉を潤す。

「そろそろかな?」

 彼女の問いかけにドキッとして、飲み物をこぼしそうになった。

「なに、何が?」

 じっとこちらに向けられる視線。
 沈黙。

 俯いて、抱えた膝を見つめる。

「まだ。まだだよ、もう少しだけ」

 小さい声で、それだけ言った。

「そっか」

 明るい声に、顔を上げる。
 彼女の優しい眼差しが、私を包む。

「もう一個、もらっていい?」
「……うん、たくさん食べて」

 酒まんじゅうの味は、もう分からなかった。


***


 滑り台ってこんなに心許ないものだっただろうか。

「早くしないと、押しちゃうよ」

 背中に、彼女の両手が添えられる。

「待って、待ってよぉ」
「大丈夫だよ、一気にいけばあっという間」

 前回の重たい空気を、ちょっとだけ気にしていたのだが、いつも通りの彼女だ。
 私を滑り台の上まで呼び寄せて、「滑って」と言う。

 そんなに高くはないはずなのに、ここから下を見ると怖い。
 傘を持っているのもあってバランスが悪いし、大きくなった私が滑れるものなのか。

「さ、いっちゃえー」
「ちょ、うわ、うわ」

 無理やり後ろから突き出される。
 そのスピードに、思わず目を閉じた。

「とうちゃーく」

 まぶたの向こうに光を感じて目を開く。
 明るい。昼間みたいだ。
 座り込んでいる地面が、白くてフカフカしている。

「雲の上?」

 よくイメージされる、ここはまるで……。

「天国みたいだね」

 驚いた。私と同じことを考えていた。
 しかし、その単語を彼女の口から聞きたくなかった。

「しーちゃんは、もう飽きちゃった? 私と遊ぶの」

 もうどうにでもなれ、と思った。
 怖くて聞けなかったのに、彼女は私を促しているのだ。

「そういうわけじゃ、ないけどさ」

 彼女がドサッと地面に寝転がる。

「でもずっとこのままっていうのは、多分ダメなんだよ」
「いいじゃん、もっと私と一緒にいてよ」

 タガが外れたように、想いがそのまま言葉になる。

「好きなんだもん。ずっと好きだったんだよ」

 言うつもりなんてなかったのに、勢いに任せて吐き出してしまった。
 こんな場面で伝えることになるなんて。
 悔しさで涙が出る。

「ありがと。うちも、のんちゃん大好きだよ」

 全然違う。私のと、彼女のとでは。
 そんなんじゃ、ないんだよ。

 「帰ろ」と手を差し出されるまで、私はひたすら泣くことしかできなかった。


***


 それからは、間を置かずに会いに行った。
 できるだけ、彼女との思い出を作りたかった。

「今日は何して遊ぶ?」

 今は二人で背の低い鉄棒に腰掛けて足を揺らしている。
 問いかけに、そういえば、と気になっていたことを聞いてみることにする。

「ここで起こる不思議なことって、しーちゃんが考えたものなの?」
「うちの国だからね。でも面白いこと起きますよーにってお願いしただけで、何が起こるのかは知らない」

「そうなんだ」
「……うちも聞いていい?」

「何?」
「結局、その傘、なーに?」

 もういいか。話しても。

「月の光を長く浴びるとね、ここにいられなくなるの。そういう決まりだから」
「決まり?」

「私もお願いして、会いに来てるからね」
「へえ……じゃあさ、最後の日は、その傘置いて、二人で両手握って踊ろうよ。月の光浴びながら。ロマンチックじゃない?」

「……それはいいね」

 最後か。うん、最高に素敵な提案だ。
 だって会えなくなるのは嫌なのに、月の下でダンスなんて、凄く楽しみだもの。


***


「水遊び、小さい頃は虹を見たくてよくやったなぁ」

 水飲み場の蛇口を勢いよく捻る彼女に、そう呟く。

「「おおーっ」」

 二人の声が揃う。

 普通の水が出てくるとは思っていなかったが、これは面白い。 
 キラキラを閉じ込めた透明なスライムのような。

 あっという間に宙を漂うスライムに囲まれてしまった。

「粘土遊びができそう」

 彼女が近くの塊に手を伸ばしながら言った。

 私も人差し指で、ちょんっとつついてみる。
 金粉……というか、天の川の星々が中に入っているみたい。

 おもむろに手に取り、軽く握って丸い形に整える。
 手のひらに乗せた球体を眺め、銀河を手中に収めた感覚を味わう。

「楽しい……」
「のんちゃん、見て見て!」

 じゃーん、と言いながら見せてきたものが何なのか、残念ながら私には分からなかった。

「ええ、それ何?」
「ペンギンだよぉ、ほらここ、くちばし」

 ペンギン。言われてみれば、そんなフォルムだ。
 色がついていないので分かりにくい。

 彼女はそれを、そっと地面に置いた。
 ペンギンが、よちよちと歩いていく。

「うわわ、カワイイ! カワイイよ!」

 あまりの愛らしさに興奮する。
 その間にも、彼女は新しい個体の制作に取り掛かっている。

 やがてペンギンの群れが出来上がったので、飛び込んで戯れさせていただく。
 ひんやり、もちもちした触り心地がやみつきになりそう。

「そういえば、しーちゃんは絵を描くのとか好きだったよね」
「よく覚えてるね」

「そりゃあ、覚えてるよ」
「好きだから?」

 ニンマリして彼女が言うので、何となくムッとする。

「そう。好きだから!」

 やけになって大声で答えると「あはははは!」と楽しそうに笑われた。


***


「ブランコの音って、好きだなぁ。ワクワクする」
「そう?」

 私は、聞くと悲しい気持ちになるような響きだと思う。

「漕ぎ過ぎると、酔っちゃう」
「何それ。乗り物酔いみたいな?」

 彼女が笑いながら、こちらの鎖をガチャガチャと揺らす。

「やめてー」

 ふざけ合って、ゆっくり揺れたり止まったり。

「立ち漕ぎとか、スリルあるよね。思いっきりやるとさあ、空飛んでるみたいで気持ちいーんだよねぇ」
「しーちゃんって、運動神経よくて、明るくて面白くて……何でもできるよね。そういうところにずっと憧れてる」

「別に、うちだって、最初っから上手くできるわけじゃないよ」 

 彼女の静かな瞳が向けられる。

「こーいうふうになりたいな、って理想があって、そしたらどうすればいいかなって考えて、じゃあやってみよう!ってなる」
「ふふ、うん、なるほど」

 分かる、分かるよ。実は真面目な努力家だってことも、知ってるつもりだから。

「ねえ、のんちゃん、靴飛ばししよ」
「ええー、場外ホームラン出ちゃうかもよ?」

 私が根拠のない自信をのぞかせると、笑ってくれた。

「それ絶対、全然飛ばないフラグじゃん」

 二人競うように、ブランコを漕いで勢いをつける。

「あーした天気になーあれっ」

 彼女の明るい声が響く。

「うわ、懐かしい!」

 確か、飛ばした靴が上向きに落ちたら明日は晴れ、裏返ったら雨、横向きなら曇り……だったっけ。
 晴れになるまで何回もやり直したこと、あったな。

「あーっ」

 彼女のスニーカーは、転がって先の方へ。暗いのでどうなったのか、よく見えない。
 靴を履いている片足でぴょんぴょん跳んで取りに行く。

「私のはホントに全然飛ばなかったな……」

 高さだけ凄く飛んで、距離は短い。すぐに拾えた。明日は曇りだ。

 彼女が飛ばした靴を履きながら帰ってくる。

「明日、晴れだって」
「こっちは曇りだって。どっちかな」 

 明日……明日か。

「しーちゃん」

 今、私は妙に清々しい気分だ。

「次、最後の日にする」

「……うん、うん。分かった」

 一瞬、虚をつかれたような顔をした彼女だったが、予想した通りの優しい笑顔を見せてくれた。


***


 雲のかからない月が頭上に輝いている。
 こんな日にふさわしい、美しい光だ。

 彼女は真夜中の公園の真ん中で、鼻歌に合わせて一人で踊っている。

 しばらく、入口からその光景を眺めていた。
 目に焼き付けて、宝物にするんだ。そうしたら、この時は永遠になる。

「おいでよ」

 見つかってしまった。

「うん」

 私は日傘をたたまずに、静かに放った。

「踊ろ」

 月を背に手を差し出す彼女は、王子様みたい。
 いつの間にか、ムードのある音楽が流れている。

 私たちは向かい合って両手を握り、でたらめなステップで踊る。

「体育祭でこんなのやったね」
「あはは、しーちゃんに、恥ずかしがってちゃダメ、って注意されたっけ」

「そんなことまで覚えてるの」
「だって……」

 好きだという気持ちを隠さずに、瞳を見つめた。
 ああ、私はずっとこうしたかったんだ。

 今、確かに想いが相手に届いている。通じているんだ。

 自分が泣いてしまわないか心配だったけど、寂しさよりも幸福感でいっぱいだ。

「私ね、願いが叶う日記に、しーちゃんに会って二人きりで遊ぶ、って書いたの」
「願いが叶う日記かぁ……」

 彼女がくすくすと笑って言う。

「うち、前に言ったように、こうなりたい自分、っていうのがあって」
「うん」

「子供の頃、今日はこれやるぞ!って決めたことを、朝ノートに書いてたんだ」
「へえ……! 凄いなあ」

「それでね、小学校の入学式の朝は、こう書いた」

 強い眼差しが私を射る。

「後ろの席の子と、お友達になるって」

 驚きで心臓が止まるかと思った。
 そんなの聞いてない、聞いてないよ。

「声かけるの、キンチョーしたよ、結構」
「は、初めて知った……」

「今思えば、あのノートも願いが叶う日記みたいなものだったなって」

 確かに。でも私のは、不思議な力を持った「ホンモノ」なわけだけど。

 その時、不意に足元が沈むような感覚があった。
 あーあ、もうダメか。

「しーちゃん!」

 私は声を振り絞る。
 最後に伝えるなら、これだって決めていた。

「ありがとう! 私と遊んでくれて!」

 砂のようにサラサラと遠くなっていく世界で、彼女が大きく手を振ってくれているのが見えた。


***


 白い、何もない空間。
 私はただ立ち尽くしている。

「随分、時間がかかっているなと思ったら」

 後ろから声をかけられ、振り返る。

「道理で。こんなものを使っていたんですね」

 そこにいたのは、私の日傘をくわえた黒い犬だった。

「パグちゃん?」
「見た目は確かに犬ですけど、中身は月の者です」

「はあ……、もしかして月の人、怒ってる?」
「怒ってはいませんが……この傘、月の光を浴びすぎて、特別な力を持ってしまってますね」

「えっ!」
「月の光色に染まっています」

 そう言われると、何となく色が変わっている……かも。

「でもちょうどよかったです、これが行き先を指し示してくれるでしょう」
「私は何をすることになるの?」

 パグの琥珀色の瞳がキラリと光る。

「約束通り、あの日記を使用した対価として、我々の為に働いてもらいます」

 日傘(今はもう月傘と呼んだ方がいいのだろうか)を受け取る。

「私もお目付け役として同行します。目立たないようにこの姿なのです」

 まあ、可愛い相棒がいるのは心強いからいいか。

「それで、まずは何を?」
「我らが月の王は、あの日記のように、よく落とし物をなさるので……探し集めなければなりません」

「探し物の旅かあ」

 どんな国があるのだろう。さっきまでいた公園を思い出す。
 素敵だったな、彼女の国は。

「行きますよ、星の子」

 黒いパグの声を受け、手に持った傘が勝手に動く。
 その先が示す方へ、私たちは歩き出した。


【続く】

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