大阪の地震から学ばされた事

こんばんは、シン・スグルです。

今日は早朝に大阪で震度6弱の地震がありましたね。
僕は京都におりましたが、こちらも震度5強という大きな揺れ。
またしても大地震か!?
そう思ったのは僕だけじゃなかったはずです。
静かな月曜日の朝が一瞬にして騒々しく、不安に包まれました。

地震の被害に遭われた方々の無事を祈っております。

さて、今回はこの地震から学ばされたことについて書きたいと思います。

「学んだ」のではなく、「学ばされた」という表現があっているような気がします。
強制的に気付かされた感じですね。

それは何かというと、

「本当にいつ死ぬかわからない」

という事と、

「その時がいつ来てもいいように後悔せず生きないといけない」

という事の二つです。

僕らは、「明日」が必ずまた明日来るという事を信じて疑いません。
今日と同じような明日がずっと続いていくと思っているわけです。

ただ、そんなのは偶然であって、本当に簡単に日常が日常でなくなってしまう。

ぶっちゃけ、地震なんてどうしようもないんですよね。
地面があんなに揺れていたら、せいぜい出来るのはしゃがんだり
机の下に潜るくらい。

建物が倒壊したりしたら、終わりなわけですよ。
そうなってしまったら、あとはもうどうしようもなく、
天に命を預けて祈るしかないんです。

僕らは本当に幸運の上に生きているってことを、
今回のような事があると実感させられます。

ただ、数日はそうした事を考えていても、やがて日常が戻ってくると
すっかり忘れてしまいます。

また、必ず明日が来ると疑わずに生きていく毎日がやってくる。

不謹慎だとは思いますが、こうした災害は生き方や考え方を見直す
機会を僕らに投げかけてくれていると思っています。

「本当にそのままの生き方でいいのか」
「今回は運が良かっただけだ。次はお前かもしれないんだぞ」
「その時が来たら、お前は最後に笑って逝けるのか?」

そうした、何か大きな存在?からの問いを無視するのか、
何かのきっかけとするのかは、本人に委ねられていると思います。

日本は地震大国です。
今回のようなことは、生涯あと何度か必ずあります。

多くの被害が出ると思います。
そして、それはどうしようもなく防げない事もあるでしょう。

そうした悲劇が起こった事を悼む事も大切だと思いますが、
その機会をどう捉えるのか?きっかけとして人生をどう歩み直すのか?

直接被災した人だけでなく、日本中の人がその都度
問われているような気がします。


今回の地震の復興が少しでも早く進む事を願っております。

それではまた!

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