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早稲田の古文 夏期集中講座 第1回

早稲田の法学部で2021年、『増鏡』が出題されました。これは、後鳥羽上皇から後醍醐天皇までの13世紀から14世紀までの約150年間の王朝の興亡を描いた歴史物語です。

Z会の「最強の古文」によると、

「新興武士勢力の興亡を見つめる作者の透徹した歴史眼は、一方で衰え行く王朝貴族文化の哀情を隠せないが、しかも達意の和文調で語られる歴史は優れて客観的である。」

としています。(同書解答解説P.76より)

「『大鏡』」以来の伝統を踏まえて、一老尼の回想談と言う形式をとり、『大鏡』の紀伝体はやめて編年体に変えたが、物語は平板に流れず、波乱の時代を伝えて、鏡物の中でも『大鏡』と好対照をなす秀作と評価される」(同書解説より)

早稲田に限らず、今、入試問題での出題頻度が高いのは、いわゆる「中世」と呼ばれる時代です。ただし、これは日本史の定義と若干、異なります。日本史では、荘園整理令を発布し、藤原氏の摂関家と生母が縁のない、後三条天皇(在位1068ー1072)の時代を中世の始まりとしているようです。

しかし、これは政治史中心のものの考え方であり、文学史的定義と異なると思います。文学史的には、後三条天皇の次の世代、白河上皇からの院政期を中世の始まりとすべきです。

というのも、十一世紀後半に「浜松中納言物語」「夜の寝覚」「狭衣物語」「堤中納言物語」といったいわゆる王朝物が次々と生まれているからです。

源氏物語を読んだであろうと言う人々が、自分なりの王朝物語を創作しはじめた時代の新たな潮流を中世の始まりとすべきであると思うからです。

ちなみに、『中世文学研究入門』(東京大学中世文学史研究会編 至文堂 昭和40年刊)と言う専門書においては、久松潜一氏が中世の始まりを、保元の乱の起こった1156年、としています。

貴族が衰えて、武士の勢力が興ってきた興亡の歴史が中世の無常観と幽玄美が重んじられた時代を生んだとする説で、これも一つの見識でしょう。

12世紀になると、今昔物語古本説話集といった説話集、大鏡今鏡といった歴史物語『俊頼髄脳』といった歌論書、とりかへばや物語といった王朝もの、そして後世に大きな影響を与えた西行の「山家集」があります。

西行の影響は次の13世紀にも及び、1205年に後鳥羽上皇や藤原定家らによって編集された新古今和歌集だけではなく、西行に仮託された「撰集抄」といった説話文学、(少なくとも1315年までに成立)『西行物語』などがあり、百人一首にも採用されているのは有名なところです。

定家や西行らによる、無常観、幽玄美は後の能楽・茶道・俳句に影響を与え、14世紀に成立した、『とはずがたり』の主人公、後深草院二条も西行の後を追って出家し放浪の旅に出ています。

この後に成立した増鏡は、このとはずがたりの文、そのままの所があります。とはずがたりもこの14世紀の重要な文学作品といえるでしょう。

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