見出し画像

「天の道」と「人の道」 【『左伝』に学ぶ】

誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり。
(誠者天之道也。誠之者、人之道也。)

『中庸』

「誠」は、人が歩むべき道です。
それと同時に天の道でもあると『中庸』は言っています。
人の道としての「誠」を尽くすことは、天の道にも適う生き方と言っているのでしょう。
しかし、それを実践することは容易なことではないことは想像に難くありません。
「天の道」と聞くと、『史記』をまとめた司馬遷「天道是か非か」という言葉を思い出します。ここで言う「天道」とは、「人力を超えた宿命」や「宇宙を支配する力」を表しています。
『左伝』には、天道に関して、いろいろな逸話が記されています。
春秋時代は予言や占星術が流行していました。
天文を観る専門の官職があり、治政に積極的に利用されました。
「火星が輝いて見えると、どこかの国で火事がおこる」というような見立てが当たり前のように通用していたのです。
しかし、賢者として有名な鄭の国の宰相である子産は、このような予言を一切信じませんでした。

天道は遠く、人道はちかし。
及ぶ所にあらざるなり。
何を以て之を知らん。
竈焉んぞ天道を知らん。
これまた多言なり。
あに或いは信あらざらんや。

【現代語訳】
天道は幽遠、人道は卑近で、
両者は関わりがなく窺い知ることはできない。
そう(火事のことを進言した人物)だけが、天の働きを知り得るというようなことがあるはずもない。
(竈の予言が当たるというのは)ただ多言であり、
多くを語れば中にはたまたま当たると言うこともあると言うだけだ。

『春秋左氏伝』小倉芳彦訳(岩波文庫)「昭公18年」

また、斉の国で彗星が出現した時がありました。
斉国の君主は懼れをなして、お祓いをしようとしました。
しかし、この時も春秋時代で一、二を争うほどの名宰相であった晏子あんしは、予言に基づいた進言を退けます。

天道とうせず、益無きなり。
其の命を戴せず。
若何ぞ之を祓はん。

【現代語訳】
天道は一定不変のもので人がお祓いしたぐらいで変わるものではない。

『春秋左氏伝』小倉芳彦訳(岩波文庫)「昭公26年」

晏子は、占いや予言を気にして、お祓いなどをするよりも、人の道としての徳の方が大事だとしました。
君徳に穢れがなければ、何も祓う必要はなく、徳が穢れていれば、いくら祓っても穢れは減ることは無いという立場をとったのです。

孔子は、天道について、ほとんど口にすることはなかったようです。

子貢曰わく、
夫子の文章は、得て聞くべきなり。
夫子の性と天道とを言うは、
得て聞くべからざるなり。

【現代語訳】
子貢が言った。
先生の文章(=人にあらわれる徳についてや国家の制度や規範についての話)を拝聴する機会はある。
しかし、先生が語られる、人の生まれつきや宇宙の道理法則については、(なかなか)拝聴する機会がない。

『論語』公冶長篇

ここで出てくる「文章」は、現代の意味とは異なるものです。

文は「かざる」、章は「あきらか」の意のあるように、道徳や秩序で、人の言動が立派になったり、国家社会の秩序が保たれて、美しい世の中になること。われわれが今日用いる文章の意とは異なる。

『新釈漢文大系 論語』吉田賢抗著(明治書院)

孔子もそうですが、中国古代の賢者と言われた人たちは、一様に「人の道」を大切にしています。
「天の道」を「人の道」に活かせる神のような人は、特別な存在です。
それは尭や舜のような中国における理想的な王といわれる人物にしか実践できないことと言えるでしょう。
そのような理想を掲げつつ、どのような人でも実践できる道を大切にしたのが儒教(儒学)です。
それ故、「身を修めること(修身)」を第一としたのです。
「修身斉家治国平天下」
己の身を修めることで家がととのい、国家が治まり、天下泰平となるという、理想を一歩一歩進める漸進主義の道を尊びました。
中途半端に「天の道」のことを扱い、それに左右される人生では、かえって「人の道」を踏み外すことになりかねません。
時代や国が違っていても、古代の賢者の生き様に、今も学ぶところが多くあるのです。

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?