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泣きながらごはんを食べたことがあるか

答えはYESだ。

わたしは母に「あんたは泣けばいいと思ってる」、「泣き虫マン」と口すっぱく言われて育った。

本当によく泣く子だった。

歳の離れた姉にいじめられては泣き、
1999年7月のノストラダムスの大予言を寝ている布団で思い出しては泣き、
母の理不尽な怒りに反発しては泣いていた。

泣くことは、幼いわたしにとって最大の武器となり、
泣くと心の中のモヤモヤが少し小さくなって
安心できた。

成長すると、人前で泣くことは恥ずかしいことだと感じ始め、
悲しいこと、悔しいこと、怒りを伴うことに直面するたびに、
一人でこそこそ、メソメソと泣いていた。

20歳を迎えて成人すると、
わたしの泣き癖は収まったものの、完治はしなかった。

悲しいこと、悔しいこと、怒りを伴うことに直面するたびに、
我慢できないと、
やっぱり一人で泣いていた。

それは決まって、一人暮らしのマンションの階段を登り始める頃にくすぶり出す。

階段を一つ登り、自分の居場所に近づくたびに、
心が震えてきてしまう。

はぁ、情けないなぁー

なんて思いながら、
早く早くと自分をせかしながら、
でも歩くペースは何も変わらないまま、
とにかく家に帰る。

ドアを開けて、着替えて、
とりあえずご飯を作ろうと台所に向かう。
料理はいい。
その事務的な所作は、感情を忘れることができる。

たいてい、作り終える頃に感情が整うのだけれど、
あまりにもヘビィなことだと、
テーブルに食事を並べて食べ始めた途端、危険だ。

温かなごはんと、わたしの心の底の冷たさが相反し過ぎていて、
感情が溢れ出す。

くそう。

ぽろぽろと泣きながら、ごはんを食べる。
不恰好だ。
でも、我ながら美味しい。
たぶんきっと美味しい。

泣いているうちに、泣きながらごはんを食べている自分をたくましく感じ始める。

もっと励ますように、ドラマ【カルテット】の名言を思い出す。

「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」

そうだ、そうだ。
わたしは今、むしろ強いモードだ。

そうやって鼓舞すると、ちょっと元気が出てくる。

そうだ、そうだ。

ごはんを食べながら、涙が引っ込んで行く。
泣いているだけじゃダメだ、戦わなくては!って自分を勇気づける。

ちょっと変だけど、そんなこともある。
今日は全然泣いていないけど、またきっとそんな夜もある。

#コラム #エッセイ #カルテット #ごはん

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