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「まち」を学校にするということ

夢は学校じゃない学校をつくること

学校じゃない学校をつくりたい。
実はそれが夢かもしれないと、ここ1~2年で考えるようになりました。

学校じゃない学校って何?

学校じゃない学校って何?と思われるでしょう。
そもそも学校って何?
学校は何のためにあるの?
そこがどんなふうな存在であれば学校と呼べるのか?
皆さんは考えたことがありますか?

ワクワク楽しく自ら学べるところ。
学校ってまずはそんなところであってほしい、私はそう思うのです。

学校は学ぶところには違いない

学校が学ぶところであるのは読んで字のごとくです。
学ぶって、本当は楽しいことだって大人になってからよく聞きます。
でも、子どものときから学ぶことが楽しかったら世界はどんなに楽しいだろう、そう思いませんか。
学ぶ楽しさには、難しいことに挑戦する苦しさもあるだろうし、うまくいかないもやもやもあるだろうし、いつもいつも笑っていられる楽しさばかりではないかもしれません。
楽しいこととはどんなことなのか、それすらも学べる場所。
学校ってそうあってほしいなと思うのです。

うちの子を見ていて思うこと~「みちらぼ」と学校~

先日記事にしたとおり、我が家は「みちらぼ」という習い事に参加しています。
ここは学校ではなく、習い事という位置づけではあるけれど、とても興味深い学びの場です。

みちらぼでのうちの子は、うまく操作できないことも多くて、知らないこともほとんどで、周りの子ができているのに自分はできていないという場面もあって、おまけに講座にリアタイできることも少なくて、既に嫌になっているのではないかと内心ドキドキしていました。
でも、これからも続けるか尋ねると、やめたそうではないんですよね。
やってみたいことがある、知らないことを教えてもらえる、魅力的な先生がいる、この空間を失いたくはないみたいです。

現実での学校とは恐らく全然違うのでしょう。
学校では正反対です。
こちらも先日記事にしましたが、学校では勉強もスポーツもそこそこできるけれど、主体的に取り組むとか、自分で考えて表現することはあまりしていないようです。

2学期末の通知表からもそれは明らかでした。
能力は評価されているけれど態度が今ひとつ…

日常で通っている学校も、失敗しても面白い、挑戦したいことがある、そんなことを思える場所であってほしい、と親として心から思います。

私の住んでいる「まち」で起こりつつあること

不登校だった高校生、教員だった同世代の友人、地域の子どもは地域の宝だと考えてくれる地域の人たち、そんな人たちと私もじわじわとつながり始めています。
子どもたちがいてもいい場所を作っていくこと。
子どもたちがそこにいることを許容できる大人を増やして、子どもたちの居場所がある「まち」をつくっていくこと、そんなことを漠然とながらみんなで考え始めました。

でも、あまりにもそこにいるメンバーが多種多様すぎて話がまとまらないのですけどね。
それでも、こういう人たちがこの「まち」に集まることで、「まち」の雰囲気が変わって、子どもたちが「まち」でいろいろなことを学べるようになるのではないかとも思います。

学校ではない学校は「まち」そのものかもしれない

私が実現したいと思う学校ではない学校、それはすなわち「まち」そのものなのかもしれません。
当然、既存の学校も「まち」の中にあっていいけれど、時には既存の学校を飛び出して「まち」でいろんなことを学べるようになったら、子どもだけでなく、大人も楽しく暮らせるような気がします。

私の願いは全てつながって叶えたい夢になっている

子育てのこと、学校のこと、まちづくりのこと、これはいつも私が頭の中で常に考えていることです。
この記事を書きながら、これらはバラバラのように見えて、私の中の根っこでは全部つながっているかもしれない、そう思うようになりました。
どれかを選ぶ必要もなくて、どれもつなげて叶えられる夢なのかもしれないと思えるようになりました。
これが本当に実を結ぶのかはまだ分かりませんが、引き続き見守って応援していただけたら嬉しいです。


#かなえたい夢

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