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胆沢物語『小夜姫①』【岩手の伝説㉑】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館


【五章】小夜姫【一節】


丁寧な挨拶をしながら破れた笠を取った小夜姫の顔を見た吉実は、アッとあやうく声を上げるところでした。

顔は少し汚れて、髪も幾日も櫛(くし)づけていないらしく、麻糸の乱れを思わせるものがありました。

でも澄んだ眼から鼻筋の通り、美しい桜貝を合わせたような唇など、自分の娘を見たのではないかと、いぶかったほどでした。

こんな路傍ではというので、母子の住居に案内されました。


そこは、これが人間の住居とはどうしても思われない、あばら屋でした。

この冬など殊の外、寒気が酷い年でした。

そうした中でこの母子は、どうしてこの冬を送ったかを思うのでした。

※どのようにしてこの冬を過ごしたかを思いやるのでした。


欠けた茶碗一杯の湯は、それでも長い旅路の吉実一行には甘露でした。

そしてそこで吉実は、小夜姫母子から身の上話を聞かせられました。

途中幾度か壁の破れ穴から入る風に、消えそうになる灯火をかばう小夜姫の優雅な仕草に、高貴さを感じるのでした。

吉実はここで、はるばる筑紫まで尋ねてきた目的を言うのを、ためらわずにはいられませんでした。

こうした哀れな母子に、自分の目的はあまりにも残酷に思われるからでした。

彼は幾度か絶句しながらも、言わざるを得ませんでした。

聞いた母は仰天して涙を流しました。

小夜姫は微かな動顚を表しながらも、態度を崩しませんでした。

※動顚・・・どうてん。気が動転する。


おそらく父十三回忌の法要を営む金策に困っていたからだったかもしれません。

これだと大丈夫、法要ができるという先入観が走ったかもしれません。


その夜、吉実一行の安眠に引きかえ、小夜姫母子には眠られぬ夜でした。

夫や財宝を失った母にして、小夜姫はただ一つの生き甲斐でした。

小夜姫には、父の法要を営む望みを達した嬉しさがあっても、自分なき後の母の侘びしさを思うのでした。

そうした悶々の内に一睡もなき母子は、明け六つの鐘を聞くのでした。

※明け六つの鐘・・・日の出のおよそ30分前に鳴らす寺の鐘。


身売りについては母はどこまでも反対でした。

小夜姫はここで母を説得できないと察したので、母には密かに吉実との交渉を結んでしまいました。

身代金三千両、一千両は母に残していくとして、二千両で充分、父の法要が営めると計算したからでした。

でもここに七日間の法要期間が必要でした。

小夜姫はその事を吉実に話すと、快諾してくれたのみか、三日間を余分に、計十日間を許してくれました。

小夜姫は喜んでゆっくりした法要が営めるのでした。

ただここで母がいぶかったことには困りました。

貧乏な姫に、莫大な金のかかる法要を営めるはずがないと思ったからでした。

ここで姫は母に、一生一度の嘘を言わねばなりませんでした。

即ち、春日の宮へ参詣の帰り、御坂にて拾ったと、母はそれを真実と聞き取り、小夜姫の孝行に神仏のお授けがあったものと喜んでおりました。

三日三晩の法要も無事終わると、小夜姫は霊人様に御礼の暇乞いをして、帰宅しました。

※霊人・・・おそらく霊神のこと。れいじん。霊験あらたかな神、御利益のある神。上記の春日の宮のことか?

※暇乞い・・・いとまごい。別れを告げること。


長らく胸にあったこだわりの取れた思いに、母子は名ばかりの住居ではありますが、安堵の身を横たえました。

それにしても姫に気にかかることは、身売りのことをどういう風に母に話すべきかということでありました。

母はきっと強硬に反対してくると思います。

それやこれやで、心痛する小夜姫には関係なく、十日間の日時は遠慮会釈もなく過ぎ去っていくのでありました。


明日は十日目という今日、小夜姫は思い切って、母に身売りのことを話しました。

予想していた通り母は泣き狂いました。

小夜姫のどんな慰めにも耳を貸そうとはしない悲嘆ぶりでした。

そのうちに吉実一行も催促に見えました。

そして母子の悲嘆の有様を見て、呆然と立ちすくんでしまいました。

故郷の娘のことを思い出したのでありましょうか。

しかし吉実には、贄(にえ)上納のことが頭にこびりついていました。

そしてここ筑紫から、みちのく胆沢の故郷までの道程を考えていました。

どのように急いでも三ヶ月はかかりそうです。

贄上納は八月十五日ですから、今すぐ出立しなければ、その日に間に合いません。

心にもない邪険な態度を見せて、吉実は小夜姫から泣き狂う母を突き放すと、姫に旅支度を急がせました。

一行の旅は馬でした。

狂乱の母は素足で後を追いましたが、疾走の馬に何ともならず、路傍に泣き崩れてしまいました。

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