Saori Ogata

日本、岩手出身。作詞、作曲、編曲、MIX、動画、写真、民話、DTM、ポップス、インスト…

Saori Ogata

日本、岩手出身。作詞、作曲、編曲、MIX、動画、写真、民話、DTM、ポップス、インスト、クラシック、ボカロ 【連絡】opaldan@sika3.com 【HOME】https://mizunasisan.wixsite.com/opalshot

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  • Saori Ogataテキストまとめ

    民話、雑記、歌詞など。

  • 岩手県の民俗学(胆沢の民話)

    岩手県の胆沢という地域に伝わる民話や伝説を紹介しています。 民俗学的に価値のあるものだと思うので、目にとまった人の記憶に、少しでも残って伝わっていけばいいなと思います。

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    音楽、朗読

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    オルゴール、クラシック、ポップス、ボカロなど。

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    備忘録。雑記。

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庄内砂丘に行ったついでにゴミ拾い

    • 替馬壇の地に行ってみた【プチ・フィールドワーク①】

      かえまだん、俗称ではキャマダと読む。 平安時代後期の東北地方で、源頼義・義家親子が、東北の豪族、安倍頼時・貞任(さだとう)・宗任(むねとう)親子を鎮圧する戦がありました。(前九年の役) 源義家(通称・八幡太郎義家)が安倍貞任を追って見分森の近くを通った時、愛馬の香月が倒れてしまいました。 その地に丁重に香月を葬り、新しい馬に替えました。 後にそこは壇山と呼ばれ、牛馬の埋葬地となりました。 そうして替馬壇(換馬壇)と呼ばれるようになったそうです。 替馬壇についての民

      • 替馬壇の由来【岩手の伝説㉓】

        参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 ※替馬壇・・・かえまだん。俗称キャマダ。 平泉に拠って、四囲(しい)を睥睨していた安倍貞任(あべのさだとう)を攻落した八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)は、晩秋の風に吹きさられるる木の葉のように逃ぐる安倍氏の軍勢を追って、森(御殿場)まで来ると、愛馬香月の手綱を静かに引いて留めました。 ※拠る・・・よる。あてにしてそれにたよる。 たよってそこに落ち着く。 ※睥睨・・・へいげい。にらみつけて勢いを示すこと。 義家の

        • 茂井羅ものがたり【岩手の伝説㉒】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 昔、面塚(めんづか、現水沢区佐倉河字下川原)に、北郷隆勝(きたごうたかかつ)という人が住んでおりました。 ※北郷隆勝・・・きたごうたかかつ。仙台藩家臣に名前が残されているので、その人物と考えられる。 満々と水をたたえた、四米(メートル)余りの堀の内は、大樹が欝蒼と繁って、南蛮渡来という大鶏の刻を告げる声が、犬の吠えるに似た音を響かせていました。 屋敷の東側に廻ってみると、朱塗りの幅広い橋が架かっていて、それに続く四ッ門

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        記事

          胆沢物語『沼は静かに』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【七章】沼は静かに 女性は静かに小夜姫の前に座ると、深く頭を垂れました。 そして自分はかつて、高山なる掃部(かもん)長者の妻として、栄華の生活を送っていたが、あまりの欲深と邪悪さから神仏に見放され、大蛇の苦患(くげん)を受け、この地に棲むこと実に九百九十九年、この年月のうちに眉目良き女を服すること九百九十九人なり、この度は姫君に巡り会い、未来成仏ができたと、小夜姫の手を取って涙を流しながら喜びました。 小夜姫も自分の不

          胆沢物語『沼は静かに』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『姫と大蛇』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【六章】姫と大蛇 翌日、吉実の妻は、小夜姫があまりにも美しいので、大蛇の贄(にえ)にすることを可愛想になりました。 そのことを夫吉実に話すと、吉実は顔を変えて、実は贄のことは小夜姫にはまだ話していない旨を告げました。 いづれ小夜姫に話さねばならぬことなのだが、どういう風に話し出したらいいのか、そのことで疲れた割に昨夜はあまり眠っていないことを話しました。 そして何等(なんら)決着をつけないまま夜になりました。 そう

          胆沢物語『姫と大蛇』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『小夜姫③』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【五章】小夜姫【三節】 旅はいつしか伊達領に入っていました。 千賀の浦からは船でした。 ※千賀浦・・・ちがのうら。宮城県松島湾南西部の浜辺。 小夜姫は博多から乗った船の経験があったので、眉をひそめましたが、船の進む波間に、多くの緑の松の生えている島々の浮かんでいるのには驚きました。 そこは松島でした。 小夜姫は、この世にこんな美しい風景があるのかと、うっとりと眺めていました。 そして思わず歌を詠じました。 松

          胆沢物語『小夜姫③』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『小夜姫②』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【五章】小夜姫【二節】 筑紫はもう、春が過ぎようとしていました。 博多から馬を捨てて、船に乗りました。 船路は必ずしも穏やかなものばかりではありませんでした。 奈良から再び陸路に変りました。 しかし路銀の都合もあって、馬を雇うことはできませんでした。 したがって吉実一行はもちろん、姫も硬い草履の旅でなければなりませんでした。 慣れぬ徒歩に、自然と姫の遅れが目立ってきました。 ことに山坂や瓦礫の道となると、深窓

          胆沢物語『小夜姫②』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『小夜姫①』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【五章】小夜姫【一節】 丁寧な挨拶をしながら破れた笠を取った小夜姫の顔を見た吉実は、アッとあやうく声を上げるところでした。 顔は少し汚れて、髪も幾日も櫛(くし)づけていないらしく、麻糸の乱れを思わせるものがありました。 でも澄んだ眼から鼻筋の通り、美しい桜貝を合わせたような唇など、自分の娘を見たのではないかと、いぶかったほどでした。 こんな路傍ではというので、母子の住居に案内されました。 そこは、これが人間の住居と

          胆沢物語『小夜姫①』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『松浦長者③』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【四章】松浦長者【三節】 それから二十一日目、長者の妻の懐妊は確かなこととなり、夫婦の喜びは一方ではありませんでした。 ※一方ならぬ・・・ひとかたならず。並ひととおりではない。普通ではない。 三月は神隠しの月、五月は彰月、九月の苦しみ、あたる十月と申し、御産の紐を解きます。 ※産の紐を解く・・・出産する。分娩する。十月十日(とつきとおか)で出産したというような意味。 産も軽く生まれたのは、玉のような女の子で、小夜と

          胆沢物語『松浦長者③』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『松浦長者②』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【四章】松浦長者【二節】 長谷寺への道は難渋(なんじゅう)を極めました。 山あり、川あり、森や林、ことに旅慣れぬ長者の妻の苦労は痛々しいものがありました。 茨に手は破れ、足は凸凹道によって豆ができ、それが破れて血が流れていました。 しかし子を願う一念の前には、その苦労も物の数ではありませんでした。 長谷寺に着くと、御手洗川に下りて三十三度の垢離をとります。 ※垢離・・・こり。神仏への祈願や祭りなどの際、冷水を浴び

          胆沢物語『松浦長者②』【岩手の伝説㉑】

          胆沢物語『松浦長者①』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【四章】松浦長者【一節】 第二十七代、安閑天皇の代に、九州は筑紫肥前松浦の里に、松浦長者と申す者が住んでおりました。 ※安閑天皇は在位531~536年。古墳時代。 ※筑紫肥前松浦・・・つくしひぜんまつら。筑紫は九州の総称。肥前は現在の佐賀県、長崎県。そこに松浦郡があった。 ※時代背景がバラバラな話が出てくるので正確ではない。 その長者の持つ財宝は数知れず、豪勢さは隣国の唐土までも聞えておりました。 まずその比類な

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          江刺、蔵まち散策してきた【岩手県】

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          胆沢物語『吉実の苦悶』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【三章】吉実の苦悶 吉実一行が釣りに来た日は、贄(にえ)を上納する八月十四日の一ヶ月前に当たっていました。 数えてみると確か、今年の贄上納の当番は、机地庄兵ェ尉でありました。 ※机地庄兵衛尉・・・つくえじしょうべえのじょう。おそらく机地という地域の庄兵衛という老翁。 そうすると、来年は吉実であらねばなりませんでした。 吉実はすっかりふさぎ込んでしまいました。 生来の楽天的な性格はいずこかに飛び去り、痛々しくもしお

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          胆沢物語『高山掃部長者』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【二章】高山掃部長者 さて話は変わりますが、その頃より数百年以前、この止々井沼(とどいぬま)のほとり、高山(上胆沢)という所に、掃部(かもん)という日本第一を自称する大長者が住んでおりました。 名は祗春(まさはる)といい、祗明、祗広、祗勝という三人の子供にも恵まれ、上下胆沢五十七郡の土地を領有する大地主でした。 屋棟は四十八、牛馬は三百五十足、下男二百五十人、下女百人という豪勢さはまず想像以上で、その威勢には草木も靡か

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          胆沢物語『止々井沼』【岩手の伝説㉑】

          参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館 【一章】止々井沼(とどいぬま) 諸事多く、日々仕事に追われている郡司兵衛吉実(ぐんじべえよしざね)には、好きな釣りに行く日を作るということは、容易なことではありませんでした。 ですから、何事にも煩わされることのない日を得た興奮に、その前夜、吉実はなかなか眠れませんでした。 うとうとと眠りかけると、大きな奴がうまくかかって、意地悪く釣り糸が切れそうになるところで目が覚めるのでした。 そんなこんなで本当に眠りに落ちたのは

          胆沢物語『止々井沼』【岩手の伝説㉑】