胆沢物語『松浦長者③』【岩手の伝説㉑】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
【四章】松浦長者【三節】
それから二十一日目、長者の妻の懐妊は確かなこととなり、夫婦の喜びは一方ではありませんでした。
※一方ならぬ・・・ひとかたならず。並ひととおりではない。普通ではない。
三月は神隠しの月、五月は彰月、九月の苦しみ、あたる十月と申し、御産の紐を解きます。
※産の紐を解く・・・出産する。分娩する。十月十日(とつきとおか)で出産したというような意味。
産も軽く生まれたのは、玉のような女の子で、小夜と名付けて、夫婦の喜びは筆舌に表すことができないほどでありました。
荒い風も避けるような育て方で、七重の几帳、九重の御簾の中で、大勢の乳母や女中に付き添われて、すくすくと育って参りました。
※几帳(きちょう)は間仕切り。御簾(みす)はすだれ。
長者夫婦の喜びはたとえようがありません。
何不自由のない財宝に恵まれた生活に、玉のような姫まで恵まれたのですから、何の不足を申すこともありません。
露を含む筍の如く、姫もいつしか五才となりました。
神仏の申し子にそむかず美しいこと、この世界の人間とは思われないほど綺麗で、長者夫婦の満足はもう頂点に達していました。
姫、姫と、慈しみの目を細めておりました。
ちょうど花爛漫の春たけなわの頃でありました。
観梅、観桜と、祝宴は幾月も続きました。
ある日のこと、祝宴の大盃に微醺の長者は、とんでもない豪語を放ってしまいました。
※微醺・・・びくん。ほろ酔い。微酔。
「かの観世音の偽り奴が、姫四才となれば夫婦いずれか空しくなるべしと言えるに、姫すでに五才となりけるに、夫婦いずれもこの通り健在なり。
※うそつきめが、夫婦どちらか死んでしまうと言っていたのに
しからば観世音の嘘言(おそごと)か、長者の威勢に怖れてか。
呵々。(かかと笑う)」
と大声で笑いました。
これは一度二度ではありませんでした。
仏の顔も三度とか、さすがの観世音も腹を立ててしまいました。
実は観世音にして思えば、姫四才に達すれば、夫婦いずれかが空しくなる定めでありましたが、姫に恵まれた夫婦の歓喜を目のあたりにすると、今さらいずれかを空しくすることは、あまりにも気の毒に思えてなりませんでした。
ですから昼は飛鳥(ひちょう)と身を変じ、夜は五尺の大蛇となって長者の館に棲み、常に悪疫災害から守っていてくれたのでした。
それとも思わぬ長者の振舞い暴言に、観世音様も世の衆生の戒のために、長者を取り殺してくれんと、疫神司祗園牛頭天王に頼みました。
※人間をはじめ全ての生き物を戒めるために
※牛頭天王・・・ごずてんのう。祇園精舎の守護神。日本では平安京の祇園社の祭神であり、疫病を司る神とされた。
天王聞こしめし眷属の疫神たち、一千五百の天神を天下し、松浦長者の家に乱入させました。
※聞こし召し・・・お治めになる。
※天下す・・・おそらく天降す。あまくだす。天上界から地上界に下し遣わせる。
無惨にも長者は神仏の罰によって、悪魔を払う飛剣も、邯鄲の夢の枕も神通力を失い、九つの黄金湧く山も、三つの白銀湧く山も、ことごとく機能を失い、あまつさえ長者自身、病名の分からぬ大病に臥す身となりました。
人々は大いに驚いて、手の及ぶ近隣から名医を招き、名薬を探して、看護の限りを尽くしましたが、病気は少しもよくならず、発病以来わずか十日くらいで、長者は妻や小夜姫の名を叫び続けながら、ついに息を引き取ってしまったのであります。
時に長者四十四歳、酒の上の放言さえなかったなら、観世音は八十三歳までの齢を授けんと加護をしていただけに、残念なことでした。
それにしても、一時に父と数多くの財宝を失った姫には、父の野辺送りさえできない様になってしまいました。
※野辺送り・・・のべおくり。死体を火葬場や埋葬場所まで、葬列を組んで見送る風習のこと。
かつては召使であった多くの下男下女たちや、近所の人達の情で、どうにか葬い(とむらい)の行事は済ましたものの、これからの生活には厳しいものをヒシヒシと感ずる小夜姫子でした。
そして月日に関守なく、小夜姫も十七歳になっていました。
※月日に関守なし・・・月日の流れをさえぎる関所の番人などはいないのだから、止めることはできない。つまり、年月の過ぎるのは早いものだという意味。
父が亡くなってすでに十三年、母子には父の十三回忌の法要のことが気にかかっていました。
その日の糧(かて)に困る日が多く、一日二食ある日など、食なしの日もあったこの頃の生活に、父の法要は大きい心痛でした。
その日も、早春の冷たい風が道路の埃を吹き上げていました。
小夜姫母子は、田圃(たんぼ)に下りて朝から落穂拾いでした。
※落穂・・・おちぼ。収穫した後に落ちこぼれている稲の穂。
秋の収穫時ならともかく、春など田圃に落穂のあるはずがありません。
でも万が一と思って来た田圃でした。
それだけ小夜姫母子は貧のどん底に落ちていました。
ちょうどその時、みちのくの郡司吉実(ぐんじよしざね)一行が、疲れた足を引きずって訪ねてきたのでした。
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