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「野暮」ってnoteが一番読まれてる(笑)、、、ってなわけでちょっとこの問題を提示します。

問題

「あなたは、家におり、火事になっちゃって火が燃え広がっていきます、その場に大事な人も一緒におります、しかし、大事な人はこの状況を前にして、パニック発作を起こし、この現実を直視できません、半狂乱です、あなたの言うことも一切聞いてくれません、とにかく一刻も早くこの状況から抜け出さなければ火事で焼死してしまうことは明白、空気も薄くなってきた。自分だけ逃げることはできない。さあ、どうする?、ゴールは一緒に火事場から抜け出す事、あなたは、意を決して大事な人を頸動脈しめて失神させました。そして大事な人をおぶって脱出することに成功しました。」

その後、人々はあなたを責めました、失神させるなんて酷い!、暴力反対!、もし死んだらどうするんだ、と。


ここに今の日本の現状、問題点が凝縮していると思います。


①未来脳か過去脳かの違い

登場人物である、

あなたは、未来を見ています、現状認識をして判断ができます、どうすればいいのかと思考しています。「火事」「脱出」「大事な人の力量」です。相手に「逃げよう」と言ってみました。だが、相手は「聞く耳」を持っていないと判断されました。言葉で説得できるような状況ではないことはわかりました、行動を起こした。あなたは未来をみている、そして未来を創るという観点がある。前を向いています。主体は自分である。恐怖を克服するという生き方。




大事な人は、過去を生きています、火事という現実を受け入れられない弱さをもっています、キャパオーバーしちゃった。自分で今まで判断してこなかったこと、誰かの指示にしたがって生きてきたことが露呈しちゃう。また、それについて被害者意識さえもっています。心のうちは「なんて不幸(運、不運の話)なんだ、わたし、おれって可哀そう!思えば、あのときもそうだった、わたし、おれはなんて不幸な星(運、不運の話)のもとにうまれたんだろう」、と。後ろを向いています。人生のお客様である。恐怖を恐怖として、そのまんまにしちゃう。



② 後日、あなたを責める人たち


最悪のシュミレーションは、二人ともまごついて焼死。最善のシュミレーションは二人とも脱出。まだあった、最悪のシュミレーションはあなたがひとりで逃げること。

「ゴール」設定が見えてない人があなたを責める、

① 自分がそうなった場合の「想像力」がない、安全な場所からモノを言う。

② 優先順位がわかっていない、(なにが大切かの基準をもっていない)

③ 完璧な脱出方法(それは幻想)があるはずだと思い込みすぎている

④ 失神させたという暴力はいけない、「きまっていることはきまっているから守れ」という、すでに「ある」んだから「絶対守れ」という、「なぜ?暴力がいけないのか?」という観点が抜け落ちている。

⑤ この責める人たちも過去脳、人生のお客様。



デフォルメして書いてますが、こんな感じです。


よくネットでほぼbotでは?同じ人格では?と思うような、批判をよく見ますが、「な~んも意味ない」ってわかりました?分析ってのは過去でしかないから、論評も過去でしかない。

なぜなら過去脳は未来をつくれないから。それだけは本当。「ニュース」与えられて「付和雷同」しているだけ。「ニュース(いいニュースがいいなあ)」は作るって考え。



わ、いやだ、過去脳って嫌だ!って思った人がいましたら、どう変わるか?それは簡単です。「過去のことを(意識して)口にしない」「未来はこうしたいなあ(実現できそうな)実行しちゃう。」って癖つけて話すと良いでしょうね。脳が変わります。結構単純ですね。

文庫本と愛蔵版ってぴったんこに並べたいな、びっしりした本棚ないかな、あ、作っちゃえばいい。そんな感じ


あと過去に浸りたいときだってあります、それも人生の醍醐味です、ダメなのは連続していることです、過去と決別したいならちゃんと区切りつけることが良いでしょうね。

例えば、自分は誤診で死にかけたことは書きました、当時はまごうことなき「被害者」です、はい。しかし、それで考えて、よし、もう医者の言うこと鵜呑みにしないぞ、自分で勉強すればいい。って一応の解決策を導いて、変えました。恨みもってません。

引き寄せの法則っていい一面ばかり取りざたされていますが、逆もあるんですね。「被害者意識」ってのがまあ、やっかい、24時間それ持ってる人は、また別の「被害」引き寄せます。大変だあ。つまり「幸せ」じゃない。



見る訓練(未来脳になるために無意味な怖れをなくす)


思い込みってのは結構やっかいだ、でもちゃんと方法はある。殺伐としてグワーッて時にやっちゃうでしょ、時には(行動させるときには、鼓舞させるときには)大切な時もあります。でも消極策になった場合は思い込みは被害妄想になります。

以前「日常ギャンブル」ってネタを書きましたが、これだけで最高の遊びだったりします。やってみると、「なんだ、世界って面白いし、たいしたことない」って思うはず。

よく彼女と、前を行く人の行動予測したりして遊んだことがあります。バスに乗って、「つぎ乗車してくる客は赤いカーディガン来たおじさん」とかわけわからないけど、未来を予測するわけです。「はずれた」「当たったぞ」とかね。電車内も遊び場です、この人なんかやるなって思う人の予測を立てる、また車やバイクの運転してるときは対面の右折車両の運転してる人の顔をよく見る。ボッコボコの車には近寄らない(笑)

そうなると世界がわかってくる、たいしたことない。世界と通じあえるわけでさあ、

ホリエモンがデモに向かって「税金泥棒」って罵倒したじゃないですか?「迫力」がなくてビビった。

三原じゅん子議員が「恥をしりなさい」って言った、「迫力」がなくてびびる。

生きづらい人はちょっと「社会」を背負ってみたらどうだろう?実はこの世の中を変えたいって思ってるんだから。大義明分ができた人は強いし、実際生かされる。

他人の「いい報告」聞いたら、「お~」と言って握手する。気分よいじゃない?結構昔からやってますよ、それやると相手は照れたりするんだけど、こっちも嬉しい、そんな感じ。「うらやましい」ときは「うらやましい」って言いながら握手する。そんだけです。喜びのおこぼれをもらうって感じかな。コミュ障でもまずは家族から「実験的に」やって検証してみてください。良い効果があるよ。握手が目的化は違うけれど。


ご一考という感じでございます。
















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