見出し画像

ヴァローナ | 種を守るのは誰のために

フランスの老舗チョコレートメーカー、ヴァローナの歴史の始まりは今からおよそ100年前の1922年まで遡る。その第一歩目を踏み出したのは、たった一人のパティシエだった。

フランスでも美食の都市として知られるリヨンの南80kmにある、タン・レルミタージュ。この小さな町に「ショコラトリー・デュ・ヴィヴァレ」をオープンしたパティシエのアルベリック・ギロネ氏は、“良質なチョコレートの基本は何よりもまず高品質なカカオ豆を使用すること”をモットーに、常に最高のカカオ豆を求め続けた。

彼の意志を引き継ぎ、ヴァローナはその後100年にわたってカカオの探究に奮励。世界各地を訪れ、未だ見ぬカカオの発見に挑み続けた。さらにこの活動は徐々に発展し、いつしか様々な分野の有識者によるカカオの未来を見据えた研究プロジェクトへと進化していく。

現在ヴァローナには、創業者の意志を引き継ぎ世界各国で活動を展開する「カカオ供給チーム」が存在する。チームに在籍するのは、様々な専門知識を持った4人のメンバー。
今回はそのうちの1人、農学​​者のジュリアン・デスメ氏に話を聞くことができた。ドミニカ共和国でのミッションからフランスに戻ったばかりだというデスメ氏が今見ている景色、そしてヴァローナが目指す世界について聞かせてもらった。

画像9

ジュリアン・デスメ / Julien Desmedt(写真右):熱帯作物を専門領域とする農学​​者。2013年よりヴァローナの「カカオ供給チーム」に所属。アジアまたはラテンアメリカでカカオ生産者の協同組合や企業とヴァローナの価値観を共有し、長期的なパートナーシップを築く活動に尽力している。

カカオ供給チームの仕事

創業から現在まで、ヴァローナが一貫して目指すのは「美味しいチョコレートをつくるための良質なカカオ豆」の入手。これを達成するために、デスメ氏とチームのメンバーは「カカオ供給源の確保」とそれに紐づく「生産者のサポート」という2つの軸を行き来しながら、各々が独自の手法で業務を推進している。

スクリーンショット 2021-10-30 15.06.22

デスメ氏によると、メンバー全員に共通する仕事のひとつが工場レベルの生産量と品質の安定性が見込めるカカオ供給源の確保。ヴァローナ独自の合格基準を満たしたカカオ豆を安定的に工場に届けるための生産管理、そして生産者とのパートナーシップ構築および強化も彼らのミッションとなる。既に長期契約が締結されているドミニカ共和国をはじめ、ヴァローナでは現在16の国とやり取りが進められているという。

「生産管理に関して決まった形はありません。特に課題がなければそのまま仕入れ作業を進めますし、遂行できない何かしらの理由がある場合には、生産者と共に発酵や乾燥などの工程を見直して物理的な投資を検討したり、あるいは品質以外の部分に課題があるなら仲介者のような形でコミュニケーションをとっていきます。
ひとつ注意しなければならないのは、この“課題”をどう捉えるかーー今優先的に解決しなければならないことは何か、それはどのような状態にあることが解決と言えるのかーーに関しては、他所から来た私たちに決められるものではないということ。現地のコミュニティの意向を最大限尊重した上で、判断するよう努めています」

画像3

そしてこれと並行して進められるのが、新たな供給先の開拓だ。原産地のリサーチはもちろん、未来の新種に関する予測なども随時行われる。ヴァローナは現在16の国、計18208のカカオ生産者からカカオ豆を購入しているが、既に見知った土地で新たな発見があるケースも少なくない。そのため、常に全方位に対してアンテナを張り巡らせる必要があるという。

チョコレートメーカーがカカオの種を守る理由

そしてもうひとつ、カカオ供給チームには重要なミッションがある。それが、カカオの種の保全活動だ。

長い歴史のなかで定説とされてきたカカオの品種といえば、クリオロ、フォラステロ、トリニタリオの3種類。しかし環境の変化と共に自然交配が進んだ結果、昨今の遺伝子研究によると現在では10種類、あるいは14,15種類のグループに分けられるとも言われている。とはいえまだはっきりと解明はされておらず、また種の数は今後も増えていく見通しだというが、一方で純粋な在来種たちはその存在を脅かされつつある。

そういった現状に対し、ヴァローナは各国の生産者と連携しながら各地に息づくカカオの種を守るための活動を行っている。

画像8

「現地の視察や、その土地に農学センターなどがあれば訪問し、協力を仰ぎながらまずは現状をよく理解するよう努めます。これに関してもとにかくケースバイケースで決まったやり方はありませんが、そこがまた面白い部分でもあるんですよ。大事なのは、土地、パートナー、栽培の“今”をよく理解すること。もう一度言いますが、定石を踏むような戦略は存在しません。技術革新が進んでいる国もあればそうでない国もある。カカオとの向き合い方は国ごとにバラバラですから」

その土地のカカオをとりまく状況を分析し、保全すべき種であると判断すると、カカオ供給チームは現地の生産者との合意に向けて動き出す。双方にとってベストな方法を模索していく過程で、希少種を守る生産体制は少しずつ構築されていく。

「例えば、ペルーのピウラ地方で新たに識別されたカカオに『グラン・ブランコ』と呼ばれる種があります。その名の通り真っ白で(*)、クリーミーなカカオ豆がポッドの中にぎっしりと詰まった純粋なカカオ品種です。少し前まで人の手が入っていなかったので現段階ではまだ多くのカカオを採ることはできませんが、現地には今私たちが管理している小さな農園があり、ペルー人のパートナーによって栽培が進められています。この希少なカカオを守る手段として、そしてこれが生産者と私たち双方にとってフェアで良いビジネスチャンスにもなるという確信のもと、私たちは新たなプロジェクトを立ち上げました」

*グラン・ブランコ(Gran Blanco)は日本語で「雄大な白」の意

画像6

このプロジェクトの成果として、2012年に完成したのが『イランカ』(日本では2015年から販売開始)。グラン・ブランコの特徴を活かしたクリーミーさと、ブラックベリーやブルーベリーを思わせるシャープな酸味、力強いカカオ感が印象的なクーベルチュールだ。

「先ほどお伝えした通りまだ安定した供給量の確保には至っていませんが、種を絶やさないためにも引き続き『グラン・ブランコ』の栽培には力を入れていきたいと考えています。どんなに小さくともその遺伝子を守り、カカオの新たな風味の発見を続けていくというのは、ヴァローナが創業時から取り組みつづけてきた、いわば使命なんです。

なにより、カカオはチョコレートメーカーにとって言わずもがな最も重要な材料です。カカオの種を守ること、それはつまり“チョコレートの味の多様性”を守ることとイコールと言っても良いでしょう」

良質なチョコレートの基本は何よりもまず高品質なカカオ豆を使用することーー創業者アルベリック・ギロネのものづくり思想は、今日のヴァローナを突き動かし、彼らをまだ見ぬ地平へと向かわせている。

より良い未来のために森をつくる

画像3

2015年には、種の保全活動をより科学的な視点から押し進めるためのプロジェクト「カカオ・フォレスト」がスタート。デスメ氏の同僚であった農学者のピエール・コステ氏が始めたこの取り組みは、現在ヴァローナだけでなくフランスのパティシエ協会「ルレ・デセール」やその他のチョコレートメーカー(ヴェイスのような同業者や協定パートナーなど)、農学エンジニアの教育機関や研究所など、各方面の関係者たちの賛同を得て、徐々に規模を拡大している。

画像4

「大前提として、自然の恵みであるカカオを守ることはエコロジーの観点でとても有益だという揺るぎない事実があります。それまでにも私たちは、集約的でありながらも環境負荷が低く、人々の営みと生態系を共に尊重した伝統的なアグロフォレストリー(*)に取り組んできました」

*アグロフォレストリーとは、農業(Agriculture)と林業(Forestry)を組み合わせた造語。1970年代にカナダの国際開発調査センター(IDRC)の林学者ジョン・ベネ氏の研究から生まれた概念で、日本では「森林農業」や「森を守る農業」などと呼ばれる。樹木を植え、森を管理しながら、そのあいだの土地で農作物を栽培したり、家畜を飼ったりすることを指し、森を伐採しないまま農業を行うことが最大の特徴。つまり従来の単一栽培と違い、カカオ以外の農作物や材木なども収穫できるため収入の安定につながると考えられている。

「『カカオ・フォレスト』は、カカオを取り巻く最も適切なアグロフォレストリーを決める試みです。タロイモやヤマイモ、トウモロコシ、その他果物や木材等、カカオと同時に生産でき、かつそれ自体も生産者の二次的財源ーー商品化して市場に出す、もしくは食糧として収穫できるーーになるものは多く存在します。しかしそのなかでもきちんとカカオの生態系を尊重でき、かつそれ自体に高い収益性がある農作物はどれなのか、どのような栽培をすることがより効果的なのか、といった事柄についてはまだ議論の余地があり、生産者やメーカー、各分野の専門家たちを巻き込みながら探究を続けています」

それ以外にも、温暖化をはじめとする環境の変化や生態の多様性にも柔軟に対応できるカカオ栽培の在り方などについても、並行して研究が進められているとデスメ氏は言う。カカオの生態系を尊重し、かつ生産者のコミュニティにとって有益な栽培方法をパートナーたちと共につくっていくこと、それこそが「カカオ・フォレスト」の目指す道筋なのだ。

「『カカオ・フォレスト』はヴァローナやピエール・コステから発足したものではありますが、決して私たちの独り舞台ではない点は今一度強調しておきます。よりエコロジーかつより効果的なカカオ栽培を目指し、チョコレートに関わる全ての人に門戸を開いてビジネスモデルを提案したい。プロジェクトを通じて見出したシステムを、ゆくゆくはドミニカ共和国全体、そしてその他の国のサプライチェーンまで広げていきたいと思っています」

カカオ生産者という未来像のために

画像7

「原産地を問わず多くの若者がカカオ栽培に力を注ぎたいと思える未来をつくりたい」一連の取り組みを通じて目指すゴールについて、デスメ氏は語る。

「ここが非常に重要なポイントであり、これまでお話ししてきたこととも直結しますが、私たちが思い描く最終的な理想形はカカオ生産者になることが人生の選択肢の一つになる状態です。カカオ栽培という仕事が好きだから。カカオ栽培で立派に生計を立てることができるから。そういった理由でカカオの仕事に就きたいと考える人々をもっと増やしていくことが、私たちの役割だと思うんです。

美味しいチョコレートのもととなるカカオの多様性を守り、そして生産者がカカオ栽培で安定した生活を送れるシステムを完成させることで、次世代を担う皆さんにバトンを渡したい。そうして、30年後40年後も、多様性に富んだ美味しいチョコレートを皆で食べていけたらと思います」


■ヴァローナ ジャポン
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-9-4
https://www.valrhona.co.jp/
https://www.instagram.com/valrhonajapon/