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短編小説『微笑むUFO』

 いまどき「UFOを見た」なんて言っても、誰も気にとめやしない。SNSに「いいね」が1つでも付けばいいところだ。
 しかし、今現在俺が遭遇しているUFOはそれらと一線を画す、なんとも奇妙なものだった。
「まだ、いるよ」
 空を見上げ、ため息をはく。視線の先、空の向こうに丸い物体が浮かんでいる。強烈な違和感と共に。
「くそ」
 ソレから逃げるように踵を返す。しかし、
「なんで、いるんだよ」
 再び見上げた空には、また同じ物体が。――俺がどこにいても、どの方向を向いていたとしても、アレは必ず見上げた空の真正面に現れる。
 じっと見つめていると、何やら顔のような模様まで見えてくる始末だ。
「……どうしようか」
 こんなところで立ち止まっているわけにもいかないが、この気味の悪い物体から逃れる方法がわからない。
「うーん……よし」
 少し悩んだあと、俺は決断する。
「今日は会社を休んで、部屋に引きこもろう」
 これは悪い夢に違いない。最近仕事が上手くいかずにストレスも溜まっていたし、寝て起きたらすべて解決しているだろう。

 もちろん、解決などしなかった。
「お前、仕事をなめてるのか?」
 無断欠勤した俺を朝一番に呼び出した上司が、デスクに座ったままこちらを睨みつける。
「はあ、すいません」
「すみませんで済むなら警察はいらないんだよ」
 古臭い言い回しだなぁ、などと意識の隅で感じながら、俺は彼の寂しくなった頭頂部の先、窓の向こうに浮かぶUFOをぼんやりと眺めていた。
「罰として今日は一日外回りだ。契約取ってくるまで戻ってくるなよ」
「はあ、わかりました」
 空返事を返してから、面倒なことになったと気づくが、すでに遅い。
「今日中に取れなかったら、明日はノルマ二件だからな」
 自慢じゃないが、俺は今月に入ってから一件も契約が取れていない。俺なりに必死にやっているはずなのだが、どうにも空回りしてしまっているらしい、と振り返って思う。
 よくクビにならないものだ、と、どこか他人事のように感じながら、俺は「はあ」と返事を返す。
「しっかりしろよ。いつもの暑苦しいテンションはどうした」
 このままでは上手くいくものもいかない。俺は一旦、UFOのことを忘れることにした。

 そう簡単に忘れられるものでもなかった。
「あのですね、うちが欲しいのは――」
「はあ」
「その、だから――」
「はあ」
「ええと、聞いてます? もしもし?」
「はあ」
「あのぉ」
「はあ」
「……」
「…………ふざけてんのか!」
 気がつくと目の前の商談相手が激昂している。
「はい?」
「はいじゃねぇ! さっきから生返事ばかりして、やる気あんのか!?」
「ありますけど……」
「ならもっとちゃんとした態度見せろや!」
「はあ、すいません」
「スマンで済めば警察はいらねぇんだよ!」
 この人も昭和世代か、などと思いつつ、俺はもう一度「すみません」と言いながら立ち上がる。
「……どうした?」
「ちょっと眩しかったもので、カーテンを閉めてもよろしいですか」
「あ、ああ」
 俺はどうしても外せない視線を遮るために、会議室のカーテンを閉める。
「お待たせしました。あらためてご要望をお聞きします」
「……何度も同じこと言わせるなよ」
「以後、気をつけます」
 気を取り直し、相手と向き合う。UFOが直接見えなくなったことで、多少は意識を商談に向けることができるようになった。
「――ということです」
「ふむ、確かに良い商品だな。ただ――」
「はあ、なるほど」
「それに――」
「……はあ、それでしたら――」
 どうしても視線がときおりカーテンに向いてしまうし、会話の反応も若干遅れてしまうが、それが逆に、相手がじっくり話す余裕やこちらの冷静に考える時間を作ってくれたらしい。その後の商談は、予想外なほどスムーズに進んだ。
「わかった。その条件になるなら、前向きに検討させてもらう」
「ありがとうございます」
 方便というわけでもないだろう。かなりの好感触のようだ。
「さっきは怒鳴りつけてしまってすまなかったな」
「いえ、こちらの態度に問題があったので」
「いやあ、最近社内が妙にピリピリしててなぁ。どうも余裕がなくなってるというか」
「はあ」
「私としてはもっとコミュニケーションを増やしたいんだが、どうにも話しかけづらくてねぇ」
「はあ、そういうものですか」
「そうなんだよ。たまに話せば仕事の話ばかりでな。一方的な報告かこちらへのお伺い立てで終わりってなもんさ」
「はあ、寂しい話ですね」
「わかってくれるか! この前なんかも――」
 その後も雑談が一時間ほど続き、いつの間にか「前向きに」と言っていた契約が成立してしまった。

「いやぁ、最近のお前はよくやってくれているな」
「はあ、それほどでも」
「覇気がないなぁ。まったく、以前とは別人だ」
「はあ、そうですか」
 以前の自分がどうだったかなんて、もうあまり覚えていない。
「姿勢は前よりも良くなったのはプラスだけどな」
「はあ、自分ではよくわかりませんが」
 上を向くことが多くなったせいで、自然と背筋が伸びたのかもしれない。
「それが先方にウケてるっていうんだから、オレからは何も言わないよ」
「はあ、ありがとうございます」
「知ってるか? 最近は女子社員たちの間でも、お前の噂でもちきりみたいだぞ」
「はあ、噂ですか」
「急に穏やかになって大人びてきただの、どこか遠くを見るような憂いのある瞳がいいだの。まったく羨ましい話だ」
「はあ、どうも」
「何か変わるキッカケでもあったのか?」
「はあ、心当たりはないことも」
 俺は窓の向こうへと視線を向ける。そこには以前と同じUFOが、以前より幾分か遠くに浮かんでいた。
「はっきりしないなぁ」
「はあ、すみません」
「まあいいさ。この調子で頑張ってくれよ」
「はあ、がんばります」
「本当に頼むぞ」
「はあ」

 それは、突然のことだった。
「……あれ?」
 もう習慣となっていた、空を見やる動作。しかし、その先にあるはずのものがない。
「どこに行った?」
 あたりを見回しても、それらしき物は一切見当たらない。雲ひとつない青空が広がるばかりだ。
「なんだったんだ、いったい」
 どこか拍子抜けしつつも、俺は何か、心にぽっかりと穴が空いたような気分になった。

「最近、成績が落ちてるじゃないか」
「ええっとですね。これには話せば長くなる理由がいくつもありまして――」
「言い訳は見苦しいぞ。本当にどうした? 以前の余裕が見る影もないじゃないか」
「そうは申されましても、俺なりに色々試行錯誤している最中でして――」
「先方からも、お前が一方的に捲し立てるばかりで、全然こちらの話を聞いてくれなかったとクレームが来てるぞ」
「俺はウチの商品の魅力を一所懸命にアピールしようとですね――」
「お前のそれは、ただの押し付けだ。このままだといろいろ考えてもらわなければならないぞ」
「そんな、少しは俺の話を――」
「問答無用。さっさと今日の営業に行け」
 俺は逃げるように鞄を手に取り、オフィスを後にする。
「どうして上手くいかないんだ」
 エレベーターの中で自問自答する。
 ここのところ、やることなすことちっとも思うようにいかない。こちらは必死に目の前のことだけに集中しているのに、相手にその思いがまったく伝わらない。せっかくできた彼女にも、あっさりと振られてしまい、あれだけちやほやしてきた同僚たちも潮が引くようにあっさりと離れていった。
「俺が悪いんじゃない。周りのやつらに問題があるんだ」
 今日こそは、俺の思いをしっかりと伝えよう。十分に伝わりさえすれば、きっとそれが一番だと相手も納得するはずだ。
「よし、行くぞ」
 俺は久しぶりに空を見上げた。――すると、
「まさか……」
 一瞬、目を疑った。
 見間違えようはずがない。しばらく前までは、夢にも出てきたくらいなのだから。
「おかえり」
 空に浮かぶUFO。そこに映る模様は、なぜか微笑んで見えた。

「パパってさー、この頃変わったよね」
「ん、そうかな」
「うん。前よりずっと落ち着いてるし、顔つきが優しくなったし」
「そうかもね」
「彼女でもできたの?」
「彼女じゃないよ」
「ふぅん……じゃあ好きな人でもいるとか?」
「……そうだね。大切な人はいる」
「へぇ! わたし会いたい!」
「ずっと遠くにいるから、ちょっと無理かなぁ」
「えー、じゃあどんな人かおしえて!」
「パパが調子に乗っていると、さりげなく戒めてくれる人だよ」
「いましめる?」
「注意してくれるってことだよ」
「パパがわたしをしかるみたいに?」
「もっと優しい感じかな」
「えー、わたしもそっちがいい」
「ははは、努力するよ」
「ほかには?」
「……あとは秘密」
「えー? いいじゃん! おしえてよー」
「お前もいつかそんな人と出会えるかもしれないから、そのときまでおあずけだ」
「けちー」
 俺は微笑みながら、バルコニーにつながる窓の向こうをぼんやりと見上げる。
「いや、出会えないなら、それはそれで平和なのかもな」
 空には無数の星々が瞬いていた。それらのすべてが俺に微笑みかけている。まるで、祝福するように。

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