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◆読書日記.《石川文康『カント入門』》

※本稿は某SNSに2019年9月3日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 石川文康『カント入門』読了。

石川文康『カント入門』

 百均セールに「カント」があったので「久々にカント思想でも復習するかな」と思って気軽に購入したのだが、家に帰って蔵書を調べてみたら同じのを既に一冊購入してあった。
 まあでも、と思って復習がてら中身を読み始めると、1ページ目から「あ、これ以前読んだ本だ」と気付いた(笑)。

 それでもまあ、まあ、良い復習にはなった。幸い読み易かったのでサラリと読めたし。

 本書では基本的にはカントの主著である第一批判書~第三批判書までの三つの批判書の内容を解説するのだが、その際のポイントを著者は「血の通ったカント理解」としているのが特徴と言えば特徴か。

 著者はカント思想の結論だけを取り出して解説するのではなく、カントがいち思想家として、どうしてそのような考えに至ったのか、そもそもカントはどんな風に物事を考えていた人だったのか、というのを、カントのマイナーな本や「覚書」のような補助的な資料を利用して解説していく。

 という事で、これはカント思想を解説する本であると同時に、「人間・カント」を理解するため、カントの思想の特徴を理解する事でカントを理解する、そういう切り口での「カント入門」になっているというのがユニークな所なのだろう。

 勿論カント入門者がカント思想をコンパクトに理解するための手助けにもなる。

 カントはドイツ観念論の出発となった西洋哲学史の中でも重要な人物だとされている。

 例えばアンチノミーという考え方を導入して論理の限界や知性の限界を示して見せたが、そういった考えを持つようになったそもそもの動機とは一体何だったのか? カントの重要な思想である「批判哲学」とは一体何だったのか?

 その答えの一端が批判哲学の嚆矢となった『純粋理性批判』の冒頭に書かれている。

 それはカントがフランシス・ベーコンの『新オルガノン』を引用して、学問が「偶像(イードラ)」を克服していくことで発展していくのだ、というのをモットーとする考え方だった。

 イードラというのは「先入見」や「見かけ」といったもの。

 つまりはそう言った人間が陥り易い「先入見」や「見かけ」を元にした様々な誤謬を批判して取り除いていこうと言う、そういう考え方をカントは持っていたのだろうという事。

 特に『純粋理性批判』はモロにそういう内容となっている。

 その批判哲学によって当時の西洋思想に最も大きな影響を与えたのは、やはり「神の存在は証明できない」という事実をアンチノミーによって証明した事なのだろう。

 しかし、本書ではその事については特に重要な点としていない。それは本書の性格が「カントの答え」でなく「カントの考え方」にあったからだろう。

 例えば、アンチノミーの考え方についても本書で重要としている点は、二律背反という方法論ではなく、その背後にある「理性批判の法廷モデル」だとしている。

 こういった主張は面白い。
「法廷モデル」というのは、一方の立場にあってもう一方を批判するのではなく、両者の主張を俯瞰して第三者的立場で判断するという事。

 テーゼ/アンチテーゼからなるアンチノミーという考え方で理性の限界を批判する事ができたのは、カントのそういった「法廷モデル」的な考え方の特徴があったのだろうという。

 これは本書で一貫して述べられている事で、その後の『実践理性批判』と『判断力批判』にも適応できる考え方となっている。

 本書を読むのはこれで二回目だが、一回目に読んでみた時はあくまでカントの批判哲学の三つの著書の内容を理解するための補助テクストとして読んだ。
 だが、今回はまた「人間としてのカントの考え方」という著者のプッシュする部分に視点をスイッチして読む事ができたのは、自分にとって今回の収穫だった。


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