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『海を塗る』


オリンピックは無観客でやるらしい。俺にはどうでもよいことだが。

それより毎日午前のメジャーでの大谷のニュースが気になる。本当に良
く打つから。

俺の家からは、鈍色に輝く製鉄所と海が眼下に広がっている。
海から隆起した山が幾つもの小さい入江を作り、室蘭の湾岸は製鉄所がひしめきあい、高台からそれを眺めると海に絵の具を溢した後に積み木を沈めたようだ。

見晴らしは悪くはない。だけど俺はこの街が嫌いだ。北海道の田舎で十年暮らして街の人間が好きにはなれないから。

けれどこの街へ来てから八年たつし、子供たちはこの街の学校を卒業した。

何故鉄の街で暮らすのか?
どういう間違いで鉄の街で暮らすことになったのか?

答えは一向に出てきそうもない。この街へきて八年目だけど、おんなじ場所に留まるのが嫌な根なし草の俺はずっと自問自答する。そして今に至るまでの自分と自分の家族に纏わる物語に時々思いを巡らせる。

俺がその家庭を持つ前に俺は学校をドロップアウトしている。それから四半世紀以上が経つ。その過去は時間が経ちすぎてもはや捏造されたもののように感じられる。

古びた記憶や物語性が有りすぎるものを物語にする程の筆力を備えていない自分は、たまに自分の書き物が恥ずかしくなる。

最近文学を、スマホのKindleで読む。
夏だから、海に抱かれていたい坂口安吾の放蕩と、言葉が韻を踏みリズムを伴うエミリー・ディキンソンの感受性を思った。

夏だから、とても満たされるほど、書ける訳がない。
暑い夏に満たされないから書くのだろう。
けれどそうそう書ける訳がない。

だから捏造されたような過去の記憶も、満たされないままで終わりそうな予測できそうな未来も夏の色で塗りつぶしてしまいたかった。

三方を青い海原に囲まれた街の頂の方角に立つ、中古で購入した錆び付いた我が家の屋根を、娘が好きな色であるオーシャンブルーで塗り尽くした。

ずっと根なし草の俺は、優柔不断な自問自答をまた繰り返す。

おまえが家の手入れをするのは、この街へ落ち付く事を決めたから?
おまえはこの街で生きて行くと決めたのか?

一つの場所に落ち付く事が嫌いな俺は、自分の家を手入れすることを敬遠してきた。手入れするという事は、そこに落ち付くものだと心の中で認めてしまうようなものだし。

俺の問いは、塗りつぶされた。
陸地を侵食する海の前では全てが愚問だ。
そしてペンキ塗りなんて、雨漏りを防ぐ為の、正当な行いなのだから。

寄せては返す波のように押し寄せる、俺は俺の塗ったペンキから逃げ場を探した。

海を塗るには二手は先を読まなければならない。

攻撃的に塗装をする。時間を忘れて。自分が居場所を失わないように。自分が作った押し寄せる海から逃れる。

自分がペンキを塗った場所を踏まないように、逃げ道を確保しながら俺は作業を続けた。

攻めと逃げを同時に考えるなんて、ペンキ塗りくらいのものだろう。

最後に残った自分の足元を塗って、海が一つになり完成し、俺は海のような自分の家の屋根から抜け出した。

海のように広がる青い屋根を眺めて、いつしか海に囲まれていることなんて気にも留めなくなって、俺はこの街で生きて行くのかもしれない。

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