気が重い。とてつもなく重い。 何がそんなに重いのかというと、 明日は実母との旅行なのである。 私と実母の関係は、 一般的に見てそこまで折り合いが悪いわけではない。 むしろ、はたから見ると仲が良いように見えるらしい。 東北の過疎地に移り住んだ今もこうして家族旅行に出向くなど、 なんだかんだ言って家族仲良いよね、と友人には思われている。 しかし、それは私がひとり心を殺して付き合っているだけなのである。 なぜなら私が実母を苦手だからといって、 娘に祖父母との交流機会を与えないのは
もしかしたら自分は双極性の何かではないかと思うくらい、 衝動的に新しいことを始めてそのコミュニティに参入したのだけれど、 あまりに性急に周りに馴染もうとしたために 勝手に一人でつんのめって転んで骨折するみたいなことが起こった。 それで多分誰にも気づかれずに一人めちゃくちゃ落ち込んでいるので 今は急激に逆の方向に向かって気持ちが退いていってる。 新しいコミュニティに入っていくたび、 毎回こんなことを繰り返している気がするから やっぱり自分は双極性の何かかもしれない。 一口に
にわかに心が沸き立つ出来事がありこれを書いている 私には友達がいないと常々書き散らかしているのだけど、 東京を離れてここへ来る時見送ってくれる人たちはいた 音楽を通して知り合った仲間たちだった それぞれのつながりはバラバラで 色々なところから寄り集まってきたゆるやかな集団だった 私は彼らと一緒にイベントで歌ったりDJもどきのようなことをしていた 中心となるメンバーたちがそれぞれ子育て期に入り またコロナ禍もありイベントは一時休止していたのだけれど なんと今年、子連れOKの日
私は鼻が利く方だと思う。 物理的な身体能力の話ではなく、感覚的な意味の話である。 夫の故郷であるこの町に移り住んで以来、私にはまだ友達と呼べる友達がいない。それは第一に私のコミュニケーション能力が壊滅的に低いのが原因なのであるが、もうひとつは「自分と本当の意味で気が合いそうな人にまだ出会えていない」という現実でもある。 前回の記事に、私はコミュ障であるがゆえ、人に頼れず自分自身の「足を使った探索活動」により細々と趣味の世界を切り拓いてきた、というようなことを書いた。それは
この町に来る前、私は東京の杉並区に住んでいた。 杉並区というのはJR中央線の西荻窪〜高円寺の4駅を含む、東京23区の中でもサブカル色の濃い地域である。 私は大学卒業後に吉祥寺の外れに移り住んで以降、ずっとこの中央線沿線エリアに憧れを抱き続け、その周辺にまとわりつくように住み続けてきた。 といっても友達のいない私はそこまでサブカル沼にどっぷり浸っていたというわけでもなく、なんとなく文化的な人とお近づきになりたいが、自分が何者であるかを説明できる明確な肩書や趣味を持たず、そもそも
私はプロフィールに自称グラフィックデザイナーと書いており、世間的にも一応フリーランスデザイナーということにはなっている(実際に税務署に開業届も出し、ごく僅かながら収入も得ている)が、学生の頃からデザインを得意と思ったことは一度もないし、何なら職業にしたいと思ったこともない。 幼い頃から創造性に欠けており、見たものを見たままにしか描けないし、既成概念にがんじがらめになってつまらない発想しかできないし、何より視覚的な想像力においては皆無と言っても過言ではないので、職業欄にデザイナ
書いたばかりのnoteを翌日には非公開にした いつもそんなことばかりしている 私が何かを書き記すことは 結局この世に生き恥を晒すことにしかならないからだ 書いた文章を自分で何度も見返して この気持ち悪さは何だろうと考えた すると元彼に近況を尋ねられて内心得意気になり 別に無視すればいいのに嬉々として返信している そんな自分のさもしさに気づいてゾッとした 鏡の自分ばかり見つめて 背後に立つ夫の視線に気付かぬ私の愚かさよ 文章を書くといつもそういう自分の醜さと 向き合わざるを
机に向かって 耳栓代わりのイヤホンで音楽を聴いている 最小限の音量で聴いている 最小限の音量ですら考え事の妨げになり うっかり音量下げるボタンを押して無音になる 無音になると今度はストーブの音や 窓の外を走る新幹線の音が気になり 集中の仕方がわからない 田淵未来さんのnoteを読んで バケットリストという言葉を知る 「死ぬまでにしたいことリスト」のことらしい 彼女はどこでこの言葉を知ったのだろう 10も歳上の私が知らない世界を彼女は知っている かく云う私は死ぬまでに自分が