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出来損ないの作り方①

私はプロフィールに自称グラフィックデザイナーと書いており、世間的にも一応フリーランスデザイナーということにはなっている(実際に税務署に開業届も出し、ごく僅かながら収入も得ている)が、学生の頃からデザインを得意と思ったことは一度もないし、何なら職業にしたいと思ったこともない。
幼い頃から創造性に欠けており、見たものを見たままにしか描けないし、既成概念にがんじがらめになってつまらない発想しかできないし、何より視覚的な想像力においては皆無と言っても過言ではないので、職業欄にデザイナーと書く時いつも心の中で自分で首を傾げている。

情報収集のため、SNSではデザインに携わる人々を多数フォローしてはいるが、正直デザインのデの字を見るだけで自分はここにいてはいけない人間なのではないかと感じ、その場から逃げ出したい気分になる。

だけど文章を書くことにおいてはそれを感じたことはなく、書くこと自体は全く苦にならない(苦になるのは、自分の書いた文章から自分の人となりが透けて見えるのを自覚した時である)。

デザイン制作においても、実際に手を動かす前の方向性の検討やコンセプトメイキングといった言語化のプロセスは楽しい。しかし、いざそれを視覚的に具体化する段になると途端に気持ちが萎えてしまい、どこかで手を抜く方法はないかと後ろ向きなことばかり考え、結果として低クォリティの作品(とすら呼べないもの)ばかり生み出してしまう。つまり現場的な制作スキルが皆無なのである。私はこれはある種のオーバーエデュケーションの弊害であると思っている。

どういうことかというと、方向性の検討やコンセプトメイキングというのはデザインにおける上流工程であり、大学で学べるのは主にこの部分なのである。
つまりデザインを作るにあたっての大まかな思考プロセスや考え方、前提となる知識や感覚を養うことはできるけれど、その後社会に出た時に直面する現場での実務に比べると実際に手を動かす機会(回数)は圧倒的に少なく、また一課題における制作期間が圧倒的に長いので現場のスピード感とはかなり乖離があるのである。

なのでもし例えば仮に私の娘が何かの手違いで将来デザイナーになりたいとでも言い出したなら、私は大学ではなく専門学校への進学を勧める。
初めから大学に通うよりもその4年間を有効に使ってまず専門学校での学びに2年、次に現場での就業経験に2年費やした方が、よっぽど実務的なスキルの獲得につながるのではないかと思うのだ。その上で、さらに上流工程を学びたいと思ったのならその時点で初めて大学への進学を検討すればよい。2年働けばある程度の貯金も貯まっているだろうから当面の生活費や学費の足しにはなるはずだ。
仮に22歳で入学したとして、卒業時には26歳。30歳で結婚することを目標にしてもあと3〜4年はガッツリ働ける。そこで十分キャリアと資産を形成してから妊娠出産を考えた方が、人生にムダが少なくて済むのではないかと身に沁みて感じるのである。

かくいう私の場合はどうだったかに話を戻すと、そもそも私はデザイン業界を志してはいなかった。やりたいことは他にあったので、本当は専門学校に行きたかったのだけれど、様々な事情があってそれは叶わなかった。
「大学に行って普通に就職してね」それが親の願いであり彼らの中の常識であり、私も私でそれが正しい道だと刷り込まれていたし、それ以外の道なき道を開拓する気力も自信も持ち合わせていなかった。なので私は自分にできることの中から消去法で芸術分野(子どもの頃に絵画教室に通っていたので絵だけは描けた)への進学を選び、その中から最も就職という目的に近そうな、よく知りもしないデザインという世界へと足を踏み入れてしまったのだった。これが地獄の始まりだった。

つづく

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