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淋しいと孤独は悪いことではない

人付き合いが上手くなくて、集団の中で馴染めないことがあまりにも多い。
頑張っても空回りばかりで、精神的負担の割には成果を得られず自己嫌悪に陥ってしまう。
外に出ること、人に出会うことが素晴らしいと説かれた世界は、私には苦しい場所だった。

コロナ禍で自粛が唱えられていた頃、誰にも会わずに自宅にこもる生活は最高に素晴らしかった。
ストレスがなく、自由で、誰にも悪く言われたり意地悪もされない。
自分と向き合い学ぶ時間は何物にも代えがたく、とても充実した日々を送ることができていた。

徐々に自粛が解かれて仕方がなく外に出るようになったが、それまでどうやって人と接してきたかをすっかり忘れてしまっていた。
話しかけようにも言葉が出てこない。
顔と声は覚えているけど名前が出てこない。
そんなことをやっているうちに失礼が積み重なり、結局またひとりになってしまった。

前は必死で頑張ってひとりだった。
今は頑張ることをやめてひとりになった。

しみじみと「淋しいなぁ、淋しいんなぁ」と思う。
孤独を感じては、「今、私は淋しい」と心で確認する。
するとどうだろう。
嫌ではないのだ。
淋しいことは間違いないのだけど、悪くないなと思っている自分がいる。
なぜなら自分の中にストレスがない。

以前は頑張って人と接した後は、帰宅して異常なまでの疲労感が襲った。
イライラして子どもに当たり散らすような、そんな内側から湧き上がるような「嫌だ」という感情があった。
今はそれがなく、家に帰っても通常運転ができる。
淋しかったけど終わったし、もう大丈夫。
それくらいの軽い気持ちしか残らない。

楽しく人の和に入れていることが正常なことで、淋しく孤独であることは悪いことのように考えていたように思う。
淋しいや孤独というものは、単なる感情の種類のひとつであって、いい悪いで判断されるものではないのだと気が付いた。
そう、淋しいや孤独は「悪」ではないのだ。
自分の中で淋しいと孤独を受け止めてあげればいい。
私は前よりもずっと楽に生きることができるようになってきた。

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