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sushi 18

6年間続いていた和歌山の週末DJイベントが最終回を迎えた。毎回欠かさず行ったわけではなかったけど、職場から近いこともあって仕事終わりにふらっと立ち寄ったりしていた。パソコンの見過ぎで疲れた頭で踊るのがすきで、出不精の自分としては結構通った方だった。和歌山のDJイベントは色々あるけど、個人的には1番落ちつくイベントだったから寂しい。

私はこれまで単発の企画か、年に1回のワンマンライブくらいしかやったことがないので、6年間続けた主催のKUMIKOさんは本当に尊敬する。仕事でもプライベートでも思うけど、生きる上で1番難易度が高いアクションはコツコツ続けることだと思う。というのも、最近自分にとって、コツコツ続けてこなかったことによって壁に突き当たるシーンが多くて、毎回「あの時コツコツ続けられてたら…」と思ってしまうことが多い。もともとの性分として気になったことはとりあえずやってみたいのでチャレンジ精神は旺盛なんだけど、そのあとぼちぼちで飽きてしまって宙ぶらりんのまま忘れたりすることが多い。組み立てて形にするのは楽しいけど、完成してしまうと途端に興味を失ってしまう感じ。だから、イベントを6年続けるのも、毎日コーヒーを淹れ続けるのも、ダイエットを続けることも、できる人って本当にすごい。飽き性の私には到底できないほとんどのことが継続できない。私にとっては、本当にギリギリ音楽だけが続いてるものなのかも。

「もしも私が、何ひとつ続けられずにつまみ食いばかりしていたら、一度きりの人生を振り返ったときに果たして何が残っているんだろう?」と、怖くなることも増えた。転職のCMも毎日見かける。変わっていくことに世の中は寛容だと思う。もちろん私も、自分が辛い環境に居続けなくていいっていうのは賛成だし、縛られる必要はないと思う。だけど、私と1歳2歳しか変わらない後輩の子が「転職5回目です」とか言ってるのを聞くと、びっくりを通り越して心配になる。給料は大丈夫なのかとか、生活はしんどくないかとか。
転職によって給料やキャリアが失われるとしても、今の環境が自分に害なら絶対やめた方がいい。自分を許容してくれない環境に居続ける必要はないし。ただひとつ気になるのは「じゃあ転職という経験を経て、自分自身の許容量は増えているのか?」ということ。

生きてたら人と意見が食い違うシーンが往々にしてあるけど、むしろ意見が合うことの方が稀で、異なる方が普通だと思う。隣で一緒に暮らしている家族ですら違う考え方を持っている。
変わっていくことは賛成だけど、変わり続けて何も残らない自分を想像した時に私みたいに怖くなる人は、なんとか自分の許容量をあげて「快くはないけど不快ではない」くらいの人間関係やコミュニティを築けることができれば、実は生きていける場はいっぱいあるのかもしれない。

グレーな関係をそこそこ築けたら。そしたらきっと快適でないにしろ、不快すぎるほどではない毎日が待っているはず。


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