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中学生と高校生の思春期男子、マメで優しい夫(絶賛単身赴任中)との暮らしはいつもバタバタ…

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中学生と高校生の思春期男子、マメで優しい夫(絶賛単身赴任中)との暮らしはいつもバタバタ。 2年前に亡くなった母と父のことも色々ありすぎたけど、やっとゆっくり振り返ることが出来そう。

最近の記事

思い出し泣き笑い17〜歳を重ねるということ

認知症について考えてみた。 テレビ等で見ていた認知症のイメージは、徘徊、ご飯を食べたことを忘れる、乱暴な言動…。 私の勝手なイメージだった。 父と母が認知症と診断されてからも、普通に会話も出来ていたし、乱暴な言動はほとんどなかった。 お金のことに関しては多少責められたことはあったが…。 ただ、今思い出すと認知症と診断されるかなり前から、母は時々無神経な発言をすることがあったような気がする。 元々優しい人で、世話焼きで温かい人だった。 そんな母が相手を思いやれず、空気を読ま

    • 思い出し泣き笑い16〜延命ってどういうことなのだろうか?

      父の入院は高熱が続いたからとのこと。 そして食事が出来ていないらしく、主治医から「胃ろう」をすすめられた。 いや、すすめられたというより、胃ろうの手術をするしかないと言われた。 そう言われれば「お願いします」としか言えなかった。今思えば、他にも選択肢があったかもしれないな。 でもここはお医者さんにお任せするしかない。 ちなみに「胃ろう」とは、口から食事が取れない人がお腹に穴を開ける手術をして、普段その穴から直接栄養を流し込む仕組みらしい。 父は、もう声をかけても反応がほと

      • 思い出し泣き笑い15〜世話焼きな母

        久しぶりに父と母に会いに施設に行って来た。 母は相変わらず5分と記憶がもたないけど、元気にちゃきちゃきしていた。 父がだいぶ弱っていた。 車椅子で移動しているし、下を向いたまま喋りもしなかった。 施設の人が言うには、同部屋にいる母が世話を焼き過ぎているらしい。 転んで危ないからと、あまり歩かせないようにしていると。 昔からそうだ。 父の歯ブラシに歯磨き粉をつけておき、パンツにアイロンをかける尽くしようだった。子供ながらに「これはやり過ぎでは?」と思ったものだ。 母が

        • 思い出し怒気⑤

          もう怒ってイライラしている場合ではない。 早いところ兄に今より家賃の安いところへ引っ越してもらいたい。 休みがない。 今度不動産屋へ行く。 来週には行く。 こんな言い訳がしばらく続いたが、会社の社長さんからも言われているらしく、やっと引越し先が決まった。 次は引越しだ。 駅は同じみたいだし、そこは自力でなんとかしてもらうとして、相変わらず今住んでいるアパートの不動産屋さんは私のところに連絡してくる。 (兄は既に信用を失っている) 兄から連絡があり、必要なものだけ運んで

        思い出し泣き笑い17〜歳を重ねるということ

          思い出し怒気④

          兄と連絡が取れなくなり、私のイライラに限界がきて、兄の働いている食堂のホームページから調べて本社に電話した。 事情を説明し、どうしても連絡が取りたいと、社長にお願いした。 (最初に電話して出たのが社長だった。) 話の分かる社長さんで、兄と話してくれるとのこと。 ありがたい。 不動産屋さんから催促の電話 ↓ 兄に電話 ↓ 繋がらないから会社社長で電話 これを数回繰り返した。 今度は不動産屋さんが限界だ。 すると、社長さんからの提案があった。 兄の滞納分と次のアパートの

          思い出し怒気④

          思い出し怒気③

          そもそも、なんでそんなにお金がないんだ? タバコは吸うがお酒は飲まない(下戸)。 付き合ってる人もいなそうだし、賭け事もしているとも思えない。 ただ、昔からスマホをしょっちゅう変えてみたり、漫画雑誌を大量に買ったり、お金の使い方は雑だったような気がする。 何故今になって? 思い当たるのはひとつだ。 母がちょくちょくお金をあげていたに違いない。 母は兄にとても甘かった。 「出来の悪い子ほど可愛いと言うじゃない」と母から何度か聞いたことがある。 施設にいる母を今更責めること

          思い出し怒気③

          思い出し怒気②

          兄の家賃滞納は何度もあり、本来なら私が払わないといけないのだろうけど、昔から関係が悪く、「助けてあげたい」という気持ちになれなかった。 時々連絡が付き、少し会話が出来てものらりくらりで、終いには逆ギレする。 昔からキレやすい性格で、思春期の頃には家で色々な物を投げつけたりもしていた。 とにかくあまり関わりたくないけど、ここは宥めすかしてでも自力でなんとかしてもらいたいので、「もう少し家賃の安いところに引越したら?その方が生活も楽になるんじゃない?引越し費用も少しなら貸すこと

          思い出し怒気②

          思い出し怒気①

          両親が施設に入所してしばらくすると、兄がアパートの賃貸契約している不動産屋さんからちょくちょく電話がかかってくるようになった。 内容は家賃の滞納で、兄に連絡がつかないとのこと。 数年前まで実家暮らし、その後一人暮らしの際、両親も私も収入がないため私の夫が連帯保証人になり、緊急連絡先を私の携帯番号にしてあった。 兄に何度も電話し、留守番にもLINEにも私に連絡するか、不動産屋さんに連絡するかして欲しいとお願いしても全然折り返しがなく、やっと連絡が来たと思ったら「不動産屋に

          思い出し怒気①

          思い出し泣き笑い14〜大家さん

          施設に入所して数日が経った頃、母から電話がかかってきた。 施設の電話を借りてかけることは出来ると聞いていた。 「皆さん、とっても良くしてくれてありがたい」という報告だった。 良かった。母が抵抗なく暮らしていることに安堵。 「じゃあまたね。今大家さんに変わるね」 施設をアパートだと思っている。 こういうやり取りがあると、認知症をいいことに騙している気になってしまう。 騙しているのかもしれないな。 施設の契約は1人一部屋が決まりだが、父と母は一部屋に2つベッドを入れても

          思い出し泣き笑い14〜大家さん

          思い出し泣き笑い13〜アパートの片付け

          両親が住んでいたアパートを引き払うため、兄と2人の従姉妹と片付けをしてきた。 施設には衣類しか持っていけないので、家具等はほぼ廃棄。 押入れから、アルバムが出てきた。父と母の若い頃、兄や私の小さい頃など。 とりあえず全部持ち帰り、抜粋してほとんど捨てようと思ったものの…なかなか捨てられず😅 想い出の詰まったアルバム。泣きそうになるものもあれば、イヤイヤ着物を着て撮ったクラブのママ感たっぷりの成人式の写真や、笑顔の引きつった思春期の頃の写真…笑えるものもいっぱい。 とりあえず

          思い出し泣き笑い13〜アパートの片付け

          思い出し泣き笑い12〜介護施設入所

          子供達を近所のお友達にお願いし私は施設へ向かった。 本当に色々な人に助けてもらってる。 施設で待っていると父と母が車から降りてきた。 穏やかな顔に見えたが、内心どこに連れて来られたんだ?と不安だったろうな。 そんな中、父は呑気なもんで、今日は施設の人に笑われるほど饒舌だった。天然のボケにはツッコミがいがあったわ。 私の最後のミッションは、父と母のコップの裏に名前を書くこと。色々な気持ちが込み上げてきてちょっと泣けた。 でも今日の父のハシャギっぷりと、母の安心した顔を見て

          思い出し泣き笑い12〜介護施設入所

          思い出し泣き笑い11〜介護施設入所準備

          入所する施設が決まり契約を交わした。 二人分だから書類も多い。 こんなに旧姓を書いたのも久しぶり。 着替え等必要な物を用意しながも、その最中はなるべく感情を無くした。 父と母には「安心して暮らせるところに引っ越そう。私の家からも近いから今より会える。孫たちとも会える。」と言い聞かせた(嘘は言っていない)。 入所日、役所が送迎をしてくれるとのことで、私は施設に直接向かい父と母を待つことにした。

          思い出し泣き笑い11〜介護施設入所準備

          思い出し泣き笑い⑩~介護認定結果発表!

          ケースワーカーさんから連絡があった。 「要介護1」だった。 施設入所への初めの一歩だ。 いつも相談に乗ってくれている従姉妹に結果の連絡をし、共に喜び「これで少し安心できるね」と言ってくれた。 早速ケースワーカーさんが施設を探してくれた。 私からの要望は、出来れば私の家の近くで、二人一緒に入所出来るところが良いと伝えた。 ケースワーカーさんの行動の早いこと早いこと。 うちから車で1時間以内で、二人一緒に入所出来るところを見つけてくれた。 一日も早く見学したい旨を伝え、従姉

          思い出し泣き笑い⑩~介護認定結果発表!

          思い出し泣き笑い⑨〜徘徊ではない。迷子だ。

          介護認定の結果を待つまでも心配は尽きない。 ある日の夕方、母から慌てた様子で電話がかかってきた。 「お父さんが散歩から帰って来ない」 一人で行ったの?と聞けば、母はだるくてついていけなかったと。 それは致し方なし。母に父の面倒を見ろ、というのはあまりに酷な話だ。 「少し待ってみたら?帰ってくるかもよ。」と宥めてみるが、そんな私の言葉など入っていないようだ。 一度電話を切り、母からの連絡を待ってみることにした。 次は公衆電話から電話。母は結構しっかりしている。 私の携帯番

          思い出し泣き笑い⑨〜徘徊ではない。迷子だ。

          思い出し泣き笑い⑧〜要介護認定を受ける

          父も母も要介護認定が1でも良いからつかないと施設へ入所出来ないらしい。 そこでケースワーカーさんに相談して認定する人に両親が暮らすアパートへ来てもらうことになった。 私も立ち会い、担当者からそれぞれ質問され、それに答えるという形式だった。 先ずは父から。 ボーッとし、質問になかなか答えない父に、全て母が答えるという状況。担当の人に「お母さん、ちょっと黙っててもらえるかな」と言われていた。 娘としてはちょっと笑えた。 昔からそうだ。無口な父におしゃべりな母。私からすれば、い

          思い出し泣き笑い⑧〜要介護認定を受ける

          思い出し泣き笑い⑦

          従姉妹とも相談し、施設への入所を検討することになった。 先ずは入所前の準備。 今ある父の口座に入っているお金(十万円にも満たないお金だけど)を全額引き出さねば! まだなんとか会話の出来る父を連れて銀行へ行った。 真夏の暑い日、徒歩で15分ほどの銀行だったが、父は汗だくになりフラフラだった。 お父さん、ごめん。暑い中歩かせちゃって、反省。。。 銀行に着いて窓口に行く前に、受付近くにいた銀行員の方が父にお水を持ってきてくれた。 ありがたい。 が、父は半分飲んだところで、床にぶ

          思い出し泣き笑い⑦