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10分間の通学電車にて

「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

電車の中で嘔吐してしまうなんて、そんな悲惨なことがあるだろうか。

声を掛けたのは、向かい側に座っていたおじさんの吐瀉物が

私の靴にかかってしまったからだ。


「あぁ、すみません」

「そんな謝らないでください」


金曜日の夜だが、まだ終電でもないし、おじさんから酒臭さもない。

本当に具合が悪いのだろう。

どうしようと思いつつ、至って冷静なふりをしてティッシュで拭き始めることにした。


こんな田舎の電車だと一つの車両に顔見知りが何人も居ることが多い。

それがせめてもの救いだった。

すぐ近くのボックス席に同じ中学だった男の子が座っていたようだ。


「優奈さん、これのほうがいいかも」

彼の手には箱ティッシュがあった。花粉症、これ幸い。


「ありがとう、助かる」


そういって床に散らばった吐瀉物を一緒に拭き始めた。


「車掌さん呼んできますか?」

今度は隣に座っていた女の子が私に声を掛けてくれた。履いている半ズボンは隣の高校のものだ。すぐにわかった。

「ありがとうございます」

あくまでも冷静にお礼をする。冷静沈着に対応しなければ、大騒ぎになるしおじさんも不憫で仕方ないであろうと思ったからだ。


ーーーー間もなく安楽満、安楽満、お出口は左側です


アナウンスの数秒後に一気に人が乗ってくる。

隣の隣の高校生達だ。やばい。

みんなおじさんを見ている

「こっちの席空いてないんで、あちらへどうぞーーー」

私は苦しそうにしているおじさんを横目にその高校生達を誘導する。


「うぇぇ、なんだなんだ」

「あっち行こうぜ、やばぁ」


とか、性根腐った灰色な感想が聞こえた。そんなこと気にしていられない。


そんな時、「優奈さん、なにがあったの?」と声がした。

今度は同じ高校の男の子が声を掛けてくれた。

どうやら隣の車両にいたらしい。

「あ、なんか、袋とか持ってない?」

拭いたものを捨てるために、ビニール袋かなにかが欲しかった。

「ちょっと待って」

そう言って彼はファストフードの紙袋を渡した。


「ありがとう」

「俺、つぎ降りる駅だから捨てておくよ」

実は、彼とは中学も高校も一緒でなんとなく仲が良かった。

学校ですれ違うたびになにかとちょっかいを出されてうんざりしていたが、

今回ばかりはなんだか頼もしく見えた。人の、それもまったく知らない人の吐瀉物なんて持ちたくもないだろうに。


「ほんとありがとう、気をつけて」


紙袋をしっかり握った彼は降りていった。


「どこの駅で降りますか?」とおじさんに聞いてみる。

「香良洲井駅です」

香良洲井駅まではあと4駅ある。

私は次の駅で降りなければならない。

「一人で帰れますか?」

「すみませんありがとうございます。

ティッシュだけもらえたら大丈夫です」


おじさんはまだ苦しそうだ。何に対して苦しいのか私には読み取れない。


「あ、分かりました。お気をつけて」

それしか言えなかった。


私の行動は偽善だったのだろうか、動転だったのだろうか。

とにかく周りと偶然に助けられたとしか言い様がない。







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