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魔法少女の系譜、その79~『まぼろしのペンフレンド』と口承文芸~


 今回も、前回に続き、『まぼろしのペンフレンド』を取り上げます。
 NHKの実写ドラマ『少年ドラマシリーズ』の一つですね。
 この作品を、口承文芸や、他の魔法少女作品と、比較してみます。

 『まぼろしのペンフレンド』は、ダブルヒロインの作品です。片方のヒロイン、本郷令子が、アンドロイドです。彼女が、この作品での「魔法少女」です。
 『まぼろしのペンフレンド』が放映された当時には、まだ、魔法少女という言葉は、ありません。

 アンドロイドが登場する魔法少女作品と言えば、『キューティーハニー』が思い浮かべられますね。
 『キューティーハニー』が放映されたのは、昭和四十八年(一九七三年)の十月から、昭和四十九年(一九七四年)の三月です。『まぼろしのペンフレンド』は、『キューティーハニー』と入れ替わるようにして、昭和四十九年(一九七四年)の四月から、放映が始まりました。

 『キューティーハニー』の斬新さについては、この『魔法少女の系譜』シリーズで、さんざん書いてきましたね。斬新過ぎて、後を継ぐ作品が、しばらく現われなかったほどです。
 でも、少なくとも、「アンドロイド」という要素に関しては、『まぼろしのペンフレンド』が、継いでいました(^^)

 テレビでの放映は、『キューティーハニー』のほうが先ですが、『まぼろしのペンフレンド』には、原作の小説があります。小説は、明らかに、『キューティーハニー』より早いです。
 小説が、単行本で最初に出たのは、昭和四十五年(一九七〇年)です。その前に、雑誌での連載がされていました。『中学一年コース』という、学研から出ていた雑誌です。題名のとおり、中学一年生をピンポイントに狙った雑誌です。
 この雑誌の、昭和四十一年(一九六六年)四月号から、昭和四十二年(一九六七年)三月号にかけて、連載されたようです。中学一年生のまるまる一年間を使って、連載されたわけです。
 このことからして、『まぼろしのペンフレンド』が、中学一年生くらいの少年少女をターゲットにしていることが、はっきりしますね。原作小説の主人公の明彦が、中学一年生と設定されている理由です。

 『まぼろしのペンフレンド』小説版は、日本の小説で、「アンドロイド」という言葉を使った、早い例でしょう。年代が近い例としては、『まぼろしのペンフレンド』の連載直後の昭和四十三年(一九六八年)に、平井和正さんの小説『アンドロイドお雪』が出版されています。

 『まぼろしのペンフレンド』より前に、アンドロイドが登場する小説と言えば、『ボッコちゃん』があります。星新一さんのショートショートです。昭和三十三年(一九五八年)に、同人誌に発表された作品です。
 『ボッコちゃん』は、星新一さんの代表作といわれる名作です。このため、同人誌から商業誌に載せられ、さらに、星さんのショートショート集にも収められます。
 昭和の三十年代(一九五〇年代後半)に、「アンドロイド」という言葉は、さぞかし新鮮に響いたことでしょう。おそらく、大部分の日本人にとって、知らない言葉だったと思います。

 これらの例から、アンドロイドという言葉が、日本語に本格的に入ってきたのは、昭和四十年代前半(一九六〇年代後半)と考えられます。
 テレビの世界では、おそらく、『キューティーハニー』が、アンドロイドが登場した嚆矢です。その直後に、『まぼろしのペンフレンド』テレビドラマ版が、現われました。

 『キューティーハニー』のヒロインは、戦闘少女でした。『まぼろしのペンフレンド』のヒロイン、令子も、戦闘能力はあるようです。特に、原作小説では、彼女が怪力を発揮する場面があります。アンドロイドらしさが、よく現われた場面です。
 とはいえ、『まぼろしのペンフレンド』では、戦闘は、あまり重要な要素ではありません。テレビドラマ版では、令子には、「戦闘するアンドロイド」の面影は、ほとんどありません。

 それよりも、令子が明彦に心を寄せてゆくことが、キモです。最初はいかにも「アンドロイド=人造人間」だった令子が、次第に「人間」らしくなってゆきます。最後には、明彦に、愛情としか言いようのない感情を持つに至ります。それゆえに、令子は、自身を犠牲にして、明彦を助けます。

 じつは、アンドロイドが登場するフィクション作品には、このような筋書きのものが多いのです。「女性型のアンドロイドが、人間の男性に愛情を抱くようになるも、結ばれない」というものです。
 先述の『ボッコちゃん』は、例外です。ヒロインのボッコちゃんは、最初から最後まで、アンドロイドっぽく、冷たいです。けれども、『アンドロイドお雪』のヒロイン、アンドロイドのお雪は、やはり、人間の男性を愛しますが、結ばれません。

 アンドロイドという言葉が、生まれて間もない頃から、この傾向があります。
 例えば、そのものずばり、『アンドロイド』という題名の小説があります。イギリス人が書いた小説で、英語版は、一九五八年に出ました。日本語の翻訳版は、昭和五十一年(一九七六年)に出ています。
 この小説のヒロイン、アンドロイドのマリオンAも、人間の男性を愛します。が、結ばれません。

 こういった傾向があるのは、アンドロイドが、異類と認識されているからでしょう。つまり、異類婚姻譚の変形です。
 異類婚姻譚では、一度、異類と人間とが愛し合って結ばれても、最後には別れるのが、お約束ですね。口承文芸の異類婚姻譚以来の筋書きを、長く、「アンドロイドもの」が引きずっています。
 『まぼろしのペンフレンド』は、すでに類型化されつつあった「アンドロイドもの」の系譜を、そのまま受け継いだ作品でした。

 それが悪いと言うのではありません。昭和四十年代(一九七〇年代前半)の日本では、十分に、新鮮でした。
 『まぼろしのペンフレンド』では、遠隔地にいて、手紙だけでつながる相手の不気味さが、よく感じられます。離れて住む者同士が、連絡を取り合う手段がなければ、この話は、成り立ちません。郵便制度が整備されて以降の近現代にだけ、成り立つ話です。
 遠隔地の相手が、もしやアンドロイドだったらという驚きと恐怖は、この時代の少年少女たちに、大きな衝撃を与えたでしょう。しかも、そのアンドロイドは、地球を支配しようとしている宇宙人の手先です。
 これら以外に、ハーレム要素や、サスペンス要素もある作品です。昭和四十年代(一九七〇年代前半)には、先進的で、とても面白い作品と言えます(^^)

 小説で、アンドロイドという言葉を初めて使ったのは、『未来のイヴ』だといわれます。フランスの小説で、一八八六年(十九世紀!)に発表されました。
 この作品でも、登場するアンドロイドは、女性型です。彼女は、そもそも、人間の男性を愛するように作られます。

 『未来のイヴ』を創作するヒントになったのは、ギリシャ神話のピュグマリオンの話だとされています。
 ピュグマリオンは、地中海に浮かぶ島、キプロス島の王でした。ある時、彼は、女性の彫刻を作ります。現実の女性に失望して、理想の女性像を彫ったのです。彼は、その彫刻に恋をしてしまい、恋わずらいでやつれてしまいました。
 それを見かねた愛の女神アフロディテが、彫刻を本物の女性に変えます。ピュグマリオンと、もと彫刻の女性は、めでたく結ばれました。

 大元の原作といえるギリシャ神話では、最後に結ばれていますね?
 それは、彫刻の女性=人造人間が、人間の女性になったからです。異類だった者が、異類ではなくなりました。同類ならば、結ばれるのが、自然です。

 これが、異類のままであれば、最後に別れるのが、自然です。『天女の羽衣』でも、『雪女』でも、『鶴の恩返し』でも、異類の女性は、みな、人間の男性のもとを去っていますよね。
 天女や雪女や鶴が、アンドロイドに変われば、現代の「アンドロイドもの」です。

 こういった「アンドロイドもの」の系譜は、近年まで、続いています。
 例えば、CLAMPの漫画『ちょびっツ』がそうですね。平成十二年(二〇〇〇年)九月から平成十四年(二〇〇二年)十月まで、『週刊ヤングマガジン』に連載された作品です。人気が出たので、平成十四年(二〇〇二年)に、アニメ化もされています。

 『ちょびっツ』には、アンドロイドという言葉は出てきません。人間そっくりの人造人間は、「パソコン」と呼ばれます。この名からわかるとおり、『ちょびっツ』での「パソコン」は、ヒト型をしているのが異様なだけで、扱いとしては、家電です。
 『ちょびっツ』の主人公、本須和秀樹【もとすわ ひでき】は、ある時、少女型の「パソコン」を拾います。彼女に「ちぃ」と名付け、家電として、家に置くことにします。一人と一体とは、次第に惹かれ合うようになりますが……という話です。

 二十一世紀に入っても、何千年も前の口承文芸と、ほぼ同じ筋書きの話が、好まれます。少なくとも、一部の人々には。
 異類婚姻譚というのは、普遍的に、人類に好まれる話なのでしょう。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『まぼろしのペンフレンド』を取り上げる予定です。




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