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何かを変える人。

 何かを変えることができる人間がいるとすれば、その人は大事なものを捨てることができる人だ、と彼アルミンは言った。ジャンヌ・ダルクにしろクララ・バートンにしろ、安泰な日々を捨て去ったからこそ荊の道を切り開き、後続に新たな流れを残した。戦いの世に生きているならば、アルミンの言ったことにも説得力が出てくる。

 だが現代は平和な日常期、何かを変えられる人物は自分を変えない意志を持つ人でなければならない。
 時代の波は気温上昇とともに激しさを増し、一昨日の善き閃きも、今日になれば無価値な廃棄物と化すやもしれない釣瓶落としのような目まぐるしい毎日である。1日にしてローマは成らないのに、瓦礫と化すこと不意に打ち込まれた弾道ミサイル被害のごとし、破壊は瞬く間の出来事として訪れる。おまけに同調圧力に押され引かれ、突かれつねられ、叩かれ蹴っとばされながら身をぐるぐる団子のようにこねられ激流をいく現代人に、何かを変えられるだけの暇は与えられない。時代の顔色をうかがって今日を無事にやり過ごす度に安堵のため息をついているうちは、三蔵法師の手のひら上でいい気になって鼻を高くする孫悟空から脱しえない。大事な運命の深淵はあまりに遠い。

 猿真似で終わっているうちは二番煎じにしかならない。時代が求める「こうあるべき」姿を嘲笑い、井之頭五郎じゃないけれど我が道譲らず、邁進するくらいの腹が空いていなければ、いや、座っていなければ、オリジナルってえやつは絞り出せるものじゃない。
 自分を変えない意志は、きっと何かを変えていく。

 いやなに、我が道楽をいかに正当化しようか、そいつを考えていただけなんだがね。


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