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うつ病のお話②死ぬこともできなくて

①の続きです。

死ななかった理由

「できないんだから死ぬしかない」。
正社員を辞めた後、そう思ったのに、私は今もこうして生きている。

そこまで追い詰められていなかったのか。
支えになってくれる姉がいたからなのか。
それもあったかもしれないけど、きっと一番は、「自殺の成功率は1割」と医師に言われていて、単に恐怖心が勝ったのだと思う。

それより数年前に、薬を過剰摂取して、1日半くらい家で眠り続けていたことがある。約80錠、しかも併用禁忌の薬があったのに、たった1日半。
血圧低下で立つこともできず、言われたことも覚えていないなどの症状は数日続いたけれど、幸い後遺症もなく元気になった。

人間の体は、思っているよりも強い。

オーバードーズに痛みはない。もし確実に死ぬことができるなら、きっとしていた。けれど、もうそれはかなり可能性の低いことだと知っていた。ドラマのようにはいかないのだ。

他の方法に対しても、理性がものすごくあった。怖かった。ほんと笑えるけど、死ぬ瞬間の、未知の痛みが怖かった。

生きるしかない

ここまでくると、いきなりスイッチが切り替わった。
死ぬ方法を考えるより、生きる方法を考えるほうがはるかに楽だ、と。

今のところ、自分の人生のどん底は、間違いなくこの時だったと思う。
こんなに死ぬしかないと思っていても、私にはできないのか。それなら、もうどうやって生きるかを考えるしかない。
自分は一旦死んだようなもの。ここからはおまけの人生だと思ってとりあえず適当に生きてみよう。

なんかポジ変みたいに見えるけど、やることはちっとも変わらなかった。
働くしかないのは相変わらずで。
リハビリに、簡単な事務のチェック作業みたいな仕事(派遣)にエントリーした。ほかにもいくつか応募したなかで、そこだけはあっさりと決まった。

そのころの記録によると、当時の自己評価は
『死に損なったし振り出しに戻ったし、100点中0点だけど、あの状況から這い上がれたから10点』らしい。

え… 厳しすぎない?
怖いわ、自分。

なんでだろう。
今なら、そんなしんどい中生きてたこと自体がめちゃくちゃ頑張ってたよ!って言えるのに。

ほかにも、『欠陥人間どころか、人間じゃないかも。息してるだけのただのゴミ』とか・・・

かわいそう。笑
こんな精神状態じゃ、そりゃあ「やりたいこと」なんて考える隙間もない。

繰り返す事務職志向

最初はラクだと思ったその会社も、200人くらい人がいて。つまりいろんな人がいて、次第にまた鬱っぽくなった。3年頑張って、悩んで悩んで、最後は確か一週間くらい休職して、そのまま辞めた。

その時こそ、もう合わない働き方はやめよう、ってなればよかったのに。
相変わらずほかの選択肢など思いつかない私は、環境変えてまた別の会社だ!となってしまった。30歳の時で、すでに結婚していた。

あまりにもしんどくて一旦扶養に入ろうかとも思っていたけど、そんなお金の余裕もなかったうえにあっさり次が決まってしまったので、またフルタイムで働いた。
この先ほどからの「あっさり決まる」というのが、「誰でもいい=あまりにもいろんな人がいる」の原因なのだけど…。

そんなふうに、ずっと悩みもがき苦しみながら、、そのままなんと6年半も経ってしまった。


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